育てにくい息子について調べていてギフテッドについて知りました。息子がギフテッドかどうかはさておき、ギフテッドについて調べたことや日常をメモしておこうと思いこのブログをはじめました。


by Michi-mama3

自分について振り返ってみました 6年生〜中学時代


間が空きましたが、自分についての振り返りの続きを書いておこうと思います。

今回は、小学6年生途中から、中学時代を振り返ってみます。

荒れた校区から、越した先は、関東のモデル校。修学旅行も終えたあと、卒業式までと短い期間でした。この学校は、当時の郊外にしては、中学受験など進学に熱心な家庭が多かったような気がします。

暇そうに遊び相手を探していた私は、塾通いに熱心なお母さんから、ちょっと鬱陶しがられていた記憶もあります。それでも、クラブ活動を通じて友達ができ、楽しくやっていました。

卒業アルバムのクラスのページでは、色んな “ベスト3” を取り上げていて(ザ・ベストテン!の真似ですね。)、その中で、「理屈っぽい」というのにランクインしてしまいました。女子として、可愛くない項目にランクインしたのは、非常に不本意でしたが、弁が立つ男のクラスメートと毎日あれやこれや言いあっていたので、こうなってしまったのだと思います。(男子と言い合う傾向はずっと続き、思春期以降は「女のくせに」と嫌われることも。)

この学校の卒業までの間に、両親は、隣の市に家を買ったので、中学は他の校区に移ることになります。(その後、父は単身赴任を重ねることになります。)


環境に無頓着だった両親が選んだのは、進学熱心なご家庭の多い市にあって、比較的勉強に不熱心な学区でした。そのおかげで、私は自分が勉強ができるという錯覚を起こし、勉強が楽しくなり、中学時代は極めて成績優秀でした。こんなに成績が良かったのは、後にも先にも、この中学3年間だけです。

算数は苦手だったのに数学が楽しくなったのには自分もビックリ。大きな桁の計算ドリルから解放されたのと、方程式が性に合っていたんだと思います。図形の証明問題も、パズルを解くみたいに楽しいので、自ら難問に臨んでいました。一番苦労していたのは、社会、特に年号やカタカナの言葉の暗記です。今でも、数字や表音文字は頭に残りません~。


中学時代の美術の先生は、彫刻が専門で(しかも高校の先輩にあたります)、デッサン、エッチング、彫刻が多かったのですが、これは私にフィットしていて、没頭、満喫でき、美術がますます好きになりました。

音楽の先生は、気の合わない先生でしたが、ベートーヴェンの交響曲のスコアを見ながら聞くという授業は、面白かったです。

あ、体育はずっと2でした。チーム球技が好きな中学で、ボールを最後まで目で追えない私は、みんなに謝ってばかりでした。マラソン大会も苦痛でした〜。不良達が体育祭に燃えるのも、超迷惑でした、笑。

この頃は、同級生と社交はするものの、心から打ち解けられる友達はほとんどゼロ。「私は一匹狼だ」と、思っていました。

素直な子が多い学校ではありましたが、いわゆる良くない学校だったので、全般的に公共モラルが低く、家では文句タラタラ、「みんな私みたいな人だったらいいのに!」と、本気で吠えていて、父から、「色んな人がいるから世界は楽しいんだ。」と、諭されていました。

歴史の授業で、狂歌「白河の清き川に住みかねてもとのにごりの田沼恋しき」を知れば、「田沼が恋しいだと? 清い川に住めないようなヤツはいない方がマシだ!」と、心底思い、家でも熱く語っていました。。(この極端さは20代半ばまで続きますが、今は正義感や熱さはなくなり、どちらかというと厭世的になりがちです。)

そういえば、中学2年生の時の担任は、私には学校&授業がつまないだろうと、わざわざ放課後に教科書を先に進める授業をしてくれていました。今思うととてもありがたいです。

休み時間は、素直系の不良達に勉強を教えたり、職員室に質問を携えて遊びに行っていました。(職員室にいる時間が長かったです。)
先生達からは、「ミチヨが職員室に入ってくるとどんな質問されるのかとドキドキする。」と、言われていました。正直な気持ちだったのでしょうが、先生にはそんなこと言って欲しくなかったです〜。やっぱり先生にはどんどんハードルをあげていって欲しかったなと当時も今振振り返っても思います。


中学校での交友関係がとても物足りないせいで、学校を越えた好奇心満たせる交流があれば良いのにとも思っていました。地元で難しいとされる高校に行けば、この願いも叶うに違いないというのが、受験勉強の大きなモチベーションでもありました。

それと、運動ができるのは、誰からも大いに賞賛されるのに、勉強ができることは、逆にカッコ悪い風潮があること、女子ならなおさら、と、いうところにかなり不満を持っていました。
(好きな男子でもいれば、たまには猫かぶって勉強できないフリでもしたのでしょうが、「優秀な子が集まる高校に行けば、様々な不満が解決されるはず」と思っていたので、逆に受験向けの勉強に燃えました。)

また、相変わらずケアレスミスは、目立っていて、先生に首を傾げれることしきり。特に、力を抜いたテストでのケアレスミスがひどく、ア、イ、ウの選択肢に対して、イ、ロ、ハで答えたり…。苦笑


中学時代は、地元の進学塾に、日曜日の午前中に通っていました。平日は部活動以外に用事はなかったので、とてものんびりしていたと思います。それでも、放課後に同じ学校の子と遊ぶことはあまりなく、試験勉強のない日は、家に帰って、自分の部屋で寝っ転がったりして、ぼーっとした後、本を読んだり、家事で忙しい母相手にどうでもいいことをしゃべりまくったりして、テレビを見て、宿題、夕食、お風呂、寝る、といった毎日でした。


そして、高校受験なのですが、当時はこの地区は公立が人気だったので、公立高校が第一志望。
内申書関係なく一発勝負で、ケアレスミスなければ、満点もありえるというタイプの試験問題で、毎回ほぼ満点とれるのが快感で試験勉強をしていました。これが、高校からの伸び悩みの原因の一つかもしれないなと今になって思います。


あと、中学時代で、忘れられない担任の先生からの言葉があります。
家庭訪問で、「ミチヨさんは遊ばないので、心配です。」と。まともな大人になれないんじゃないかというニュアンスでした。
そこで先生に、「そんな先生、ジグソーパズルとかやってますよぉ~。」と、言ったら、「そういうのは遊びとはいわなくて…、苦笑。」と言われたのが、けっこう残っています。同級生から疎外感あるのは構わなかったのですが、先生からそう言われるのは、まあまあインパクトありました。

両親も、「私達の子なのに、こんなに勉強が好きなんて、おかしい、突然変異だ。」とか言っていましたが、う~ん、そうじゃなくって、もっと励ます言葉があったでしょうに、と、子を持つ今思います。(両親は褒めてるつもりで言っていたのでしょうが、やっぱり子供としては、「こんなに頑張って、さすが自分達の子だ」という褒め方の方が嬉しいです。)


ちなみに、中学時代の習い事は、日曜日の塾だけです。ピアノは中学に上がったのを機に、辞めました。辞めて清々したのですが、こんなに嫌いになるなんて…です。この時、ピアノは音楽ではなく、毎日コツコツ練習するという根性を鍛えるための習い事になっていたんだと思います。


最後に、高校入試なのですが、本命の公立高校発表のときに、家族みんなで見に行こう!と提案する両親に、「私は一人で見に行って、合格したよ、って、電話するのを夢見て勉強してきたんだから、ついてきて欲しくない!」と、言ったのに、祭り気分の両親は自分は行きたいと言い張り、「なら、私は行かない!家にいる!」と、ごねた私。
ええ、両親は、まんまと私を置いて、弟と発表を見に行ってました。合格だったのですが、このことがずっと消化不良気分で、スッキリしませんでした。やりきった感がないというか…。今思い出しても、消化不良気分です。

そんな、勉強大好きな中学時代でしたが、高校に上がってからはかなり低迷します〜。


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by Michi-mama3 | 2013-10-28 22:54 | 自己紹介