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育てにくい息子について調べていてギフテッドについて知りました。息子がギフテッドかどうかはさておき、ギフテッドについて調べたことや日常をメモしておこうと思いこのブログをはじめました。


by Michi-mama3
前回の記事でいただいたコメントを読んで、堀江貴文という人は、会ったことがなくても、その人柄に関する印象を言わずにはいられないくらいインパクトのある人物なのだなと気づき、とても興味深かったです。

私は、彼に対しての感情はニュートラルなのですが、同世代で同じ時期に起業していた者として、その頭脳とエネルギーは並大抵のものではないと思っています。

堀江氏と同様に、多くの人の感情を刺激し、ネガティブな印象で語られることの多い人物として、雅子妃殿下を思い出しました。

私の周りだけかもしれませんが、有能で自ら動くことができて、働くのが好きな女性が、代々続く何とかなどと“難しい家”に嫁いで結局離婚するというのは、まあよくあること。(離婚後の活躍が目覚しかったりします。)
雅子妃殿下は、その“難しい家”のスケールが違い、多くの人がその“難しい家”の常識を世間の常識としたところで、ネガティブ寄りのことを言われやすいのでしょうか。


堀江氏にしても雅子妃殿下にしても、「本人は良いと思って一生懸命頑張っているのに、凸が大きいばかりに、凹が目立って、しかも、その凹が一般的な感覚からは理解されずに叩かれている図」に見えてきました。


そう思うと、今育てている可愛い我が子が、本人が純粋に頑張っているのに世間から叩かれる。
つまり、凸がガーンと世間を賑わしたために、凹が世間の目に触れ、理解されず、凹のことばかり言われるようになる(ひどい場合は牢屋に入れられる)ということもなくはないということに思い至りました。
また、ギフテッドだと、社交において一般人には理解されないことが多いので、この確率があがるのかもしれません。子供の頃は違和感を感じ、大人になってからは孤独を感じる、というか…。


そう考えると、ギフテッドという定義は、こういったギフテッド特有の苦しみを和らげるためにも必要なものだと分かります。ギフテッドだから多くに理解されないと知るだけで救われます。
だから、「だれもがギフテッドだ!」と言ってしまうと、この人達は救われないのではないかと思います。

もちろん、子育てで、お母さんが「誰だってギフトがあるもの!」というのはとても素敵なことで、こんなお母さんに育てられている子供は幸せだと思います。でも、そのギフトと、このギフテッドは違うものだということです。


ところで、「頭が良いからと言って、人間性が良いわけではない。」「いい部分もあるのに惜しい。」と、前回記事コメントでいただきましたが、今思えば、私もギフテッドと思われるの人と接する機会が多かった若かりし頃、「頭はいいんだろうけど、話がおもしろくない。」「その分野だけ優秀でも、人としてはちょっと。」などと、失礼なことを言っていました。

でも、ギフテッドは、繊細でもあるので、特にこういうことを言ってはいけなかったのだと知りました。(直接は言ってはいませんが申し訳なく思います…。)

そして、ギフテッドという人がいると知って、ギフテッドと思われる人に対して、親近感がもてるようになりました。(変人→優秀な愛すべきキャラ、という具合に)

血液型じゃないけれど、そんなカテゴリーの一つとして、ギフテッドが認知されると良いのになあ。とも。

なんだか散漫な文章ですが、思ったことをツラツラと書き留めてみました。


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# by Michi-mama3 | 2013-11-10 00:08 | 私が最近考えたこと


『ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく』堀江貴文 著 を読みました。
扉には、『堀江貴文 ゼロ 』とあるので、堀江貴文に著書というよりも、「堀江貴文」自体がタイトルとも言える本でもあります。


今風の本ですが、なぜ読んだかというと、なんのことはない、夫が読んでいたのを横取りしたというわけです。(夫が、ホリエモンは子供の頃、ミチみたいだよ〜、と言っていたので。)
自分で選んだ本でない割に、思うところがあったので、ブログに書き留めておこうとおもいます。


さて、この本では、堀江貴文さんがどのような子供時代、学生時代を過ごし、度々おとずれる転換期にどのように感じ、何をしたかを垣間見ることができました。

感想をひとことでいうと、「彼はギフテッドなのかもしれないなあ。今までも疎外感を感じていたし、これからも疎外感を感じるのだろうなあ。大衆には彼の言葉が彼の意図する通りに伝わるかどうか分からないけれども、伝わると信じている。ピュアなのだなあ。」です。


ところで、私は、堀江貴文さんが罪を犯したとは考えていなくて、戦後につくった体制やヒエラルキーを壊されたくない人々が、頭の回転が良いけれど不器用な彼の足元をすくったのではないかなと、考えています。(当時は、自分でオリジナルの仕事を興してがんばっていたところの騒動だったので、がっくりしたものです。)

そういえば、乗っ取り騒動の時、フジテレビ社員でもある友人がかなり激情していたので(お酒の席です)
「乗っ取られたくなければ、株式公開せずに、オーナーカンパニーにすべきだし、そうしてる会社はいっぱいあるよ。株式会社である以上、乗っ取られることはありえるでしょ~。それがゲームのルールなんだしさ。株式会社に勤める社員としてはしょうがないよ。従業員は持ち株するくらいしかできないし、そんなにふりまわされるのが嫌なら、自分で会社するしかないんじゃない?」と、言ったら、ちょっと気まずくなり、今は前ほど仲良しじゃなくなりました、苦笑。


話を『堀江貴文 ゼロ』に戻すと、子供時代を書いた前半の一部ですが、抜粋すると、こんなことが書かれています。

* * *

テストや教科書なんて簡単すぎてつまらない。みんなが「わからない」と言っているその理由がわからない。申し訳ないが、先生さえも間抜けに見えていたくらいだ。

塾通いに魅せられたもうひとつの理由として、講師陣の教え方が抜群にうまかったことも挙げられる。最上位のAクラスにいたこともあり、授業のレベルが高い。小学校のように「遅い子に合わせよう」という発想は、いっさいなかった。… … そうすると、あれだけ退屈だった勉強がおもしろくなり、より難しい問題、より新しい課題を求めるようになっていく。

勉強でも仕事でも、あるいはコンピュータのプログラミングでもそうだが、歯を食いしばって努力したところで大した成果は得られない。努力するものでなく、その作業に「ハマる」こと。なにもかも忘れるくらいに没頭すること。それさえできれば、英単語の丸暗記だって楽しくなる。

* * *


思ったのは、彼には頭の回転の良さに加えて、「ハマる」ことができる能力があるのだな、ということ。これが実はなかなかできないのではないかしら。

この本を読んで、子育てとは関係なく、仕事好きな人間として刺激される部分があるのは確かです。

でも、仮に彼がギフテッドだとして、ギフテッドだからこその今までの人生、これから人生があるのだとしたら、彼と同じように感じている子供達、その親達になにかしらの参考になる本ではないのかなと強く思ったのでした。


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# by Michi-mama3 | 2013-11-06 15:57 | 私が最近読んだ本
間が空いてしまいましたが、前回の『芸術系ギフテッドの特徴 〜見分け方』の続きです。
今回の記事は親業カテゴリーに振り分けておきました。


『芸術系ギフテッド 〜 実例、アドバイス』

長年の私の指導経験の中で出会った実例をいくつか紹介したいと思います。私のスタジオや、ギフテッド&タレンティッドプログラムのワークショップで、たくさんの芸術系ギフテッドに出会ってきました。実例をいくつか紹介することがお役に立てればと思います。


〈実例〉

7歳の男の子。
色と形への感性豊かなお子さんだけれども、次から次へと興味が移り、作品を完成させることはありませんでした。 ところが、花の絵を描いている時に、一つの形がもう一つの形とどのようにつながっているか注意深く見るように促したところ、彼は大きく伸びました。それから2週間も経たないうちに、2時間では足りない!と言うようになるほど、じっくりと取り組むようになったのです。


8歳の女の子。
デザインセンスが非常に高いのですが、ひどく頑固で自己抑制的なところがありました。でも、自由に新しいことを試して良いと分かると、一気にリラックスしたのです。このような子供にとっては「間違ってもよい」という気持ちになることは、非常に重要だということが分かります。


別の8歳の女の子。
線と線の間をきっちり塗り分けるように言われ時に、ひどくイラつきストレスを感じていました。というのも、以前に行った、実験的創作セッション時に、一つの色の上に、もう一つの色をわざと引いてもってきたり、一つの色のちょうど際(きわ)にもう一つの色を垂らしてみていました。この創作を彼女は、心から愛し、楽しんでいました。「際」(境界、端)がお気に入りで、硬い際を描いてみたり、柔らかい際、消えて行く際など、様々な際を描くことに没頭していました。


9歳の男の子。
テンペラ画がとても好きで、この材料は自由自在に使いこなせるのだが、他の画材は上手く使えませんでした。しかし、彼の中で「やり切る」まで、テンペラ画に没頭したのです。


驚異的な8歳の男の子。
彼は、自分の家を描くのに苦労していました。2方向から見なくてはならないのは分かっていたのですが、遠近法についての知識がなかったのです。この時は遠近法を使わずに作品を仕上げました。
1年後、この子はレッスンで、私の裏庭を描く機会がありましたが、描き始めるのが難しいと言っていました。「ガレージについている屋根と、小屋と、壁と、柵の角度を理解する」のが難しいとのことでした。彼は、表現方法を聞くことなく、空間の捉え方について取り組み始めたのです。この子は、空間を捉えることが好きで、エッシャーのテッセレーションをこよなく愛しています。


また、鉛筆とボールペンで、小さく動作を描くばかりで、色に全く興味がないという男の子もいました。


〈親と教師へのアドバイス〉

ロウェンフェルドは著書で両親に次のようなアドバイスをしています。

1. 作品一つ一つをその子の個性の記録だと考えましょう。
2. 作品を「仕上げる」ように強く言わないようにしましょう。
3. 良いものを選んで一つだけ、というのではなく、全ての作品を飾るようにしましょう。
4. 他人の作品を尊重、尊敬することも教えましょう。
5. 間違ったバランスを手直ししていけません。
6. 芸術分野において、競争させてはいけません。
7. 作品取り組むための空間と道具を用意しましょう。
8. アートクラスに通わせましょう。
9. 描き方を(教えようと)見せてはいけません。


これらは、教師にも当てはまることですが、私はさらに、下記のような事柄も教師にとって必要だと考えています。

1. 実験的な事柄も許容されるべき。
2. できるだけ多くの子供たちが自分に合うものを見つけるために、あらゆる材料や経験が用意されているべき。
3. 「教えすぎ」の罠にはまらなないように気をつけて。教師は、子供が必要としている時、放っておいて欲しい時を見極めなくてはならない。


最後に、芸術系ギフテッドの子供に対応しきれないと不安を感じている、ご両親と教師に励ましの言葉を。

自分が芸術についてあまり知らないと心配しないでください。レンブラントやゴッホの両親だって知らなかったのですから。
塗り絵やら、絵を描く方法の本は全て焼いてしまいましょう。新しいものも買ってはいけません。そんなことよりも、美術館やギャラリーに足を運び、図書館の美術セクションに親しみましょう!


あなたの子供の想像力を楽しんでください。でも、ちやほや騒ぎ立ててはいけませんよ。


参考文献
Eisner, E. W. (1979). The educational imagination. New York: The Macmillan Co.
Gaitskell, C. (1958). Children and their art. USA: Brace and World.
Lowenfeld, V. (1965). Your child and his art: a guide for parents. New York: The Macmillan Co.


実例を読んで、こういう子達は学校の授業では、よほどの先生じゃないとはじかれるのだろうなあと思いました。自分に美術の才能があるなんて夢にも思っていない芸術系ギフテッドがたくさんいるのではないかしら。
でも、ダ・ヴィンチの作品のほとんどが40歳以降のものだというし、音楽と違って、大人になってから、のびのび作品作りを楽しみ、才能に気づくということもあるかもしれないですよね😊

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# by Michi-mama3 | 2013-11-05 22:39 | ギフテッドの親業


幼稚園練習クラスの先生から、ミチの「どうして?」の連続でクラスの進行に困っていると言われ、「これはもう、徹子さん路線の子育てだな」と悟り、『窓際のトットちゃん』を読みました。😉

小学生の時にブームだったので読みましたが、その時は、「楽しそうな学校でいいなあ、戦争は良くないなあ」くらいの感想。
しかし、視点が変われば面白いもので、今回は「ああ、トットちゃんがやらかしたアレもコレもミチもやりそうだ~。」と、笑いながら読み進め、そして、少し肩の力がぬけました。


また、舞台が私にとってすごく馴染みのある場所で、特に自由が丘から九品仏の小川(今は暗渠化した遊歩道)、大きな池(今はねこじゃらし公園)など、戦前の様子を思い浮かべては、その世界に入り込んでビビッドなイメージを楽しめる読書となりました。(日頃実用書が多く、小説は久しぶりだったのです。)


そして、トモエ学園を創立し、たった8年で空襲、学園閉鎖せざるを得なかった小林校長の無念さに思いを馳せました。そして、小林校長の志を継いだ学園が今現在存在しないことを心から残念に思います。

実は、トットちゃんが退学になった、北千束の赤松小学校は、ミチが通う予定だった小学校です。 「これも、きっと何かの知らせなんだわ。」なんて、思いつつ、ミチの世界を応援しようと思いました。


とはいえ、今日も「早くしなさ〜いっ!」「あぶないでしょっ!」の連続でしたが!苦笑


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# by Michi-mama3 | 2013-10-30 22:39 | ミチの親業メモ

間が空きましたが、自分についての振り返りの続きを書いておこうと思います。

今回は、小学6年生途中から、中学時代を振り返ってみます。

荒れた校区から、越した先は、関東のモデル校。修学旅行も終えたあと、卒業式までと短い期間でした。この学校は、当時の郊外にしては、中学受験など進学に熱心な家庭が多かったような気がします。

暇そうに遊び相手を探していた私は、塾通いに熱心なお母さんから、ちょっと鬱陶しがられていた記憶もあります。それでも、クラブ活動を通じて友達ができ、楽しくやっていました。

卒業アルバムのクラスのページでは、色んな “ベスト3” を取り上げていて(ザ・ベストテン!の真似ですね。)、その中で、「理屈っぽい」というのにランクインしてしまいました。女子として、可愛くない項目にランクインしたのは、非常に不本意でしたが、弁が立つ男のクラスメートと毎日あれやこれや言いあっていたので、こうなってしまったのだと思います。(男子と言い合う傾向はずっと続き、思春期以降は「女のくせに」と嫌われることも。)

この学校の卒業までの間に、両親は、隣の市に家を買ったので、中学は他の校区に移ることになります。(その後、父は単身赴任を重ねることになります。)


環境に無頓着だった両親が選んだのは、進学熱心なご家庭の多い市にあって、比較的勉強に不熱心な学区でした。そのおかげで、私は自分が勉強ができるという錯覚を起こし、勉強が楽しくなり、中学時代は極めて成績優秀でした。こんなに成績が良かったのは、後にも先にも、この中学3年間だけです。

算数は苦手だったのに数学が楽しくなったのには自分もビックリ。大きな桁の計算ドリルから解放されたのと、方程式が性に合っていたんだと思います。図形の証明問題も、パズルを解くみたいに楽しいので、自ら難問に臨んでいました。一番苦労していたのは、社会、特に年号やカタカナの言葉の暗記です。今でも、数字や表音文字は頭に残りません~。


中学時代の美術の先生は、彫刻が専門で(しかも高校の先輩にあたります)、デッサン、エッチング、彫刻が多かったのですが、これは私にフィットしていて、没頭、満喫でき、美術がますます好きになりました。

音楽の先生は、気の合わない先生でしたが、ベートーヴェンの交響曲のスコアを見ながら聞くという授業は、面白かったです。

あ、体育はずっと2でした。チーム球技が好きな中学で、ボールを最後まで目で追えない私は、みんなに謝ってばかりでした。マラソン大会も苦痛でした〜。不良達が体育祭に燃えるのも、超迷惑でした、笑。

この頃は、同級生と社交はするものの、心から打ち解けられる友達はほとんどゼロ。「私は一匹狼だ」と、思っていました。

素直な子が多い学校ではありましたが、いわゆる良くない学校だったので、全般的に公共モラルが低く、家では文句タラタラ、「みんな私みたいな人だったらいいのに!」と、本気で吠えていて、父から、「色んな人がいるから世界は楽しいんだ。」と、諭されていました。

歴史の授業で、狂歌「白河の清き川に住みかねてもとのにごりの田沼恋しき」を知れば、「田沼が恋しいだと? 清い川に住めないようなヤツはいない方がマシだ!」と、心底思い、家でも熱く語っていました。。(この極端さは20代半ばまで続きますが、今は正義感や熱さはなくなり、どちらかというと厭世的になりがちです。)

そういえば、中学2年生の時の担任は、私には学校&授業がつまないだろうと、わざわざ放課後に教科書を先に進める授業をしてくれていました。今思うととてもありがたいです。

休み時間は、素直系の不良達に勉強を教えたり、職員室に質問を携えて遊びに行っていました。(職員室にいる時間が長かったです。)
先生達からは、「ミチヨが職員室に入ってくるとどんな質問されるのかとドキドキする。」と、言われていました。正直な気持ちだったのでしょうが、先生にはそんなこと言って欲しくなかったです〜。やっぱり先生にはどんどんハードルをあげていって欲しかったなと当時も今振振り返っても思います。


中学校での交友関係がとても物足りないせいで、学校を越えた好奇心満たせる交流があれば良いのにとも思っていました。地元で難しいとされる高校に行けば、この願いも叶うに違いないというのが、受験勉強の大きなモチベーションでもありました。

それと、運動ができるのは、誰からも大いに賞賛されるのに、勉強ができることは、逆にカッコ悪い風潮があること、女子ならなおさら、と、いうところにかなり不満を持っていました。
(好きな男子でもいれば、たまには猫かぶって勉強できないフリでもしたのでしょうが、「優秀な子が集まる高校に行けば、様々な不満が解決されるはず」と思っていたので、逆に受験向けの勉強に燃えました。)

また、相変わらずケアレスミスは、目立っていて、先生に首を傾げれることしきり。特に、力を抜いたテストでのケアレスミスがひどく、ア、イ、ウの選択肢に対して、イ、ロ、ハで答えたり…。苦笑


中学時代は、地元の進学塾に、日曜日の午前中に通っていました。平日は部活動以外に用事はなかったので、とてものんびりしていたと思います。それでも、放課後に同じ学校の子と遊ぶことはあまりなく、試験勉強のない日は、家に帰って、自分の部屋で寝っ転がったりして、ぼーっとした後、本を読んだり、家事で忙しい母相手にどうでもいいことをしゃべりまくったりして、テレビを見て、宿題、夕食、お風呂、寝る、といった毎日でした。


そして、高校受験なのですが、当時はこの地区は公立が人気だったので、公立高校が第一志望。
内申書関係なく一発勝負で、ケアレスミスなければ、満点もありえるというタイプの試験問題で、毎回ほぼ満点とれるのが快感で試験勉強をしていました。これが、高校からの伸び悩みの原因の一つかもしれないなと今になって思います。


あと、中学時代で、忘れられない担任の先生からの言葉があります。
家庭訪問で、「ミチヨさんは遊ばないので、心配です。」と。まともな大人になれないんじゃないかというニュアンスでした。
そこで先生に、「そんな先生、ジグソーパズルとかやってますよぉ~。」と、言ったら、「そういうのは遊びとはいわなくて…、苦笑。」と言われたのが、けっこう残っています。同級生から疎外感あるのは構わなかったのですが、先生からそう言われるのは、まあまあインパクトありました。

両親も、「私達の子なのに、こんなに勉強が好きなんて、おかしい、突然変異だ。」とか言っていましたが、う~ん、そうじゃなくって、もっと励ます言葉があったでしょうに、と、子を持つ今思います。(両親は褒めてるつもりで言っていたのでしょうが、やっぱり子供としては、「こんなに頑張って、さすが自分達の子だ」という褒め方の方が嬉しいです。)


ちなみに、中学時代の習い事は、日曜日の塾だけです。ピアノは中学に上がったのを機に、辞めました。辞めて清々したのですが、こんなに嫌いになるなんて…です。この時、ピアノは音楽ではなく、毎日コツコツ練習するという根性を鍛えるための習い事になっていたんだと思います。


最後に、高校入試なのですが、本命の公立高校発表のときに、家族みんなで見に行こう!と提案する両親に、「私は一人で見に行って、合格したよ、って、電話するのを夢見て勉強してきたんだから、ついてきて欲しくない!」と、言ったのに、祭り気分の両親は自分は行きたいと言い張り、「なら、私は行かない!家にいる!」と、ごねた私。
ええ、両親は、まんまと私を置いて、弟と発表を見に行ってました。合格だったのですが、このことがずっと消化不良気分で、スッキリしませんでした。やりきった感がないというか…。今思い出しても、消化不良気分です。

そんな、勉強大好きな中学時代でしたが、高校に上がってからはかなり低迷します〜。


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# by Michi-mama3 | 2013-10-28 22:54 | 自己紹介