育てにくい息子について調べていてギフテッドについて知りました。息子がギフテッドかどうかはさておき、ギフテッドについて調べたことや日常をメモしておこうと思いこのブログをはじめました。


by Michi-mama3
前回の記事でいただいたコメントを読んで、堀江貴文という人は、会ったことがなくても、その人柄に関する印象を言わずにはいられないくらいインパクトのある人物なのだなと気づき、とても興味深かったです。

私は、彼に対しての感情はニュートラルなのですが、同世代で同じ時期に起業していた者として、その頭脳とエネルギーは並大抵のものではないと思っています。

堀江氏と同様に、多くの人の感情を刺激し、ネガティブな印象で語られることの多い人物として、雅子妃殿下を思い出しました。

私の周りだけかもしれませんが、有能で自ら動くことができて、働くのが好きな女性が、代々続く何とかなどと“難しい家”に嫁いで結局離婚するというのは、まあよくあること。(離婚後の活躍が目覚しかったりします。)
雅子妃殿下は、その“難しい家”のスケールが違い、多くの人がその“難しい家”の常識を世間の常識としたところで、ネガティブ寄りのことを言われやすいのでしょうか。


堀江氏にしても雅子妃殿下にしても、「本人は良いと思って一生懸命頑張っているのに、凸が大きいばかりに、凹が目立って、しかも、その凹が一般的な感覚からは理解されずに叩かれている図」に見えてきました。


そう思うと、今育てている可愛い我が子が、本人が純粋に頑張っているのに世間から叩かれる。
つまり、凸がガーンと世間を賑わしたために、凹が世間の目に触れ、理解されず、凹のことばかり言われるようになる(ひどい場合は牢屋に入れられる)ということもなくはないということに思い至りました。
また、ギフテッドだと、社交において一般人には理解されないことが多いので、この確率があがるのかもしれません。子供の頃は違和感を感じ、大人になってからは孤独を感じる、というか…。


そう考えると、ギフテッドという定義は、こういったギフテッド特有の苦しみを和らげるためにも必要なものだと分かります。ギフテッドだから多くに理解されないと知るだけで救われます。
だから、「だれもがギフテッドだ!」と言ってしまうと、この人達は救われないのではないかと思います。

もちろん、子育てで、お母さんが「誰だってギフトがあるもの!」というのはとても素敵なことで、こんなお母さんに育てられている子供は幸せだと思います。でも、そのギフトと、このギフテッドは違うものだということです。


ところで、「頭が良いからと言って、人間性が良いわけではない。」「いい部分もあるのに惜しい。」と、前回記事コメントでいただきましたが、今思えば、私もギフテッドと思われるの人と接する機会が多かった若かりし頃、「頭はいいんだろうけど、話がおもしろくない。」「その分野だけ優秀でも、人としてはちょっと。」などと、失礼なことを言っていました。

でも、ギフテッドは、繊細でもあるので、特にこういうことを言ってはいけなかったのだと知りました。(直接は言ってはいませんが申し訳なく思います…。)

そして、ギフテッドという人がいると知って、ギフテッドと思われる人に対して、親近感がもてるようになりました。(変人→優秀な愛すべきキャラ、という具合に)

血液型じゃないけれど、そんなカテゴリーの一つとして、ギフテッドが認知されると良いのになあ。とも。

なんだか散漫な文章ですが、思ったことをツラツラと書き留めてみました。


にほんブログ村 子育てブログ ギフテッドチャイルド育児へ
にほんブログ村
[PR]
# by Michi-mama3 | 2013-11-10 00:08 | 私が最近考えたこと


『ゼロ なにもない自分に小さなイチを足していく』堀江貴文 著 を読みました。
扉には、『堀江貴文 ゼロ 』とあるので、堀江貴文に著書というよりも、「堀江貴文」自体がタイトルとも言える本でもあります。


今風の本ですが、なぜ読んだかというと、なんのことはない、夫が読んでいたのを横取りしたというわけです。(夫が、ホリエモンは子供の頃、ミチみたいだよ〜、と言っていたので。)
自分で選んだ本でない割に、思うところがあったので、ブログに書き留めておこうとおもいます。


さて、この本では、堀江貴文さんがどのような子供時代、学生時代を過ごし、度々おとずれる転換期にどのように感じ、何をしたかを垣間見ることができました。

感想をひとことでいうと、「彼はギフテッドなのかもしれないなあ。今までも疎外感を感じていたし、これからも疎外感を感じるのだろうなあ。大衆には彼の言葉が彼の意図する通りに伝わるかどうか分からないけれども、伝わると信じている。ピュアなのだなあ。」です。


ところで、私は、堀江貴文さんが罪を犯したとは考えていなくて、戦後につくった体制やヒエラルキーを壊されたくない人々が、頭の回転が良いけれど不器用な彼の足元をすくったのではないかなと、考えています。(当時は、自分でオリジナルの仕事を興してがんばっていたところの騒動だったので、がっくりしたものです。)

そういえば、乗っ取り騒動の時、フジテレビ社員でもある友人がかなり激情していたので(お酒の席です)
「乗っ取られたくなければ、株式公開せずに、オーナーカンパニーにすべきだし、そうしてる会社はいっぱいあるよ。株式会社である以上、乗っ取られることはありえるでしょ~。それがゲームのルールなんだしさ。株式会社に勤める社員としてはしょうがないよ。従業員は持ち株するくらいしかできないし、そんなにふりまわされるのが嫌なら、自分で会社するしかないんじゃない?」と、言ったら、ちょっと気まずくなり、今は前ほど仲良しじゃなくなりました、苦笑。


話を『堀江貴文 ゼロ』に戻すと、子供時代を書いた前半の一部ですが、抜粋すると、こんなことが書かれています。

* * *

テストや教科書なんて簡単すぎてつまらない。みんなが「わからない」と言っているその理由がわからない。申し訳ないが、先生さえも間抜けに見えていたくらいだ。

塾通いに魅せられたもうひとつの理由として、講師陣の教え方が抜群にうまかったことも挙げられる。最上位のAクラスにいたこともあり、授業のレベルが高い。小学校のように「遅い子に合わせよう」という発想は、いっさいなかった。… … そうすると、あれだけ退屈だった勉強がおもしろくなり、より難しい問題、より新しい課題を求めるようになっていく。

勉強でも仕事でも、あるいはコンピュータのプログラミングでもそうだが、歯を食いしばって努力したところで大した成果は得られない。努力するものでなく、その作業に「ハマる」こと。なにもかも忘れるくらいに没頭すること。それさえできれば、英単語の丸暗記だって楽しくなる。

* * *


思ったのは、彼には頭の回転の良さに加えて、「ハマる」ことができる能力があるのだな、ということ。これが実はなかなかできないのではないかしら。

この本を読んで、子育てとは関係なく、仕事好きな人間として刺激される部分があるのは確かです。

でも、仮に彼がギフテッドだとして、ギフテッドだからこその今までの人生、これから人生があるのだとしたら、彼と同じように感じている子供達、その親達になにかしらの参考になる本ではないのかなと強く思ったのでした。


にほんブログ村 子育てブログ ギフテッドチャイルド育児へ
にほんブログ村
[PR]
# by Michi-mama3 | 2013-11-06 15:57 | 私が最近読んだ本
間が空いてしまいましたが、前回の『芸術系ギフテッドの特徴 〜見分け方』の続きです。
今回の記事は親業カテゴリーに振り分けておきました。


『芸術系ギフテッド 〜 実例、アドバイス』

長年の私の指導経験の中で出会った実例をいくつか紹介したいと思います。私のスタジオや、ギフテッド&タレンティッドプログラムのワークショップで、たくさんの芸術系ギフテッドに出会ってきました。実例をいくつか紹介することがお役に立てればと思います。


〈実例〉

7歳の男の子。
色と形への感性豊かなお子さんだけれども、次から次へと興味が移り、作品を完成させることはありませんでした。 ところが、花の絵を描いている時に、一つの形がもう一つの形とどのようにつながっているか注意深く見るように促したところ、彼は大きく伸びました。それから2週間も経たないうちに、2時間では足りない!と言うようになるほど、じっくりと取り組むようになったのです。


8歳の女の子。
デザインセンスが非常に高いのですが、ひどく頑固で自己抑制的なところがありました。でも、自由に新しいことを試して良いと分かると、一気にリラックスしたのです。このような子供にとっては「間違ってもよい」という気持ちになることは、非常に重要だということが分かります。


別の8歳の女の子。
線と線の間をきっちり塗り分けるように言われ時に、ひどくイラつきストレスを感じていました。というのも、以前に行った、実験的創作セッション時に、一つの色の上に、もう一つの色をわざと引いてもってきたり、一つの色のちょうど際(きわ)にもう一つの色を垂らしてみていました。この創作を彼女は、心から愛し、楽しんでいました。「際」(境界、端)がお気に入りで、硬い際を描いてみたり、柔らかい際、消えて行く際など、様々な際を描くことに没頭していました。


9歳の男の子。
テンペラ画がとても好きで、この材料は自由自在に使いこなせるのだが、他の画材は上手く使えませんでした。しかし、彼の中で「やり切る」まで、テンペラ画に没頭したのです。


驚異的な8歳の男の子。
彼は、自分の家を描くのに苦労していました。2方向から見なくてはならないのは分かっていたのですが、遠近法についての知識がなかったのです。この時は遠近法を使わずに作品を仕上げました。
1年後、この子はレッスンで、私の裏庭を描く機会がありましたが、描き始めるのが難しいと言っていました。「ガレージについている屋根と、小屋と、壁と、柵の角度を理解する」のが難しいとのことでした。彼は、表現方法を聞くことなく、空間の捉え方について取り組み始めたのです。この子は、空間を捉えることが好きで、エッシャーのテッセレーションをこよなく愛しています。


また、鉛筆とボールペンで、小さく動作を描くばかりで、色に全く興味がないという男の子もいました。


〈親と教師へのアドバイス〉

ロウェンフェルドは著書で両親に次のようなアドバイスをしています。

1. 作品一つ一つをその子の個性の記録だと考えましょう。
2. 作品を「仕上げる」ように強く言わないようにしましょう。
3. 良いものを選んで一つだけ、というのではなく、全ての作品を飾るようにしましょう。
4. 他人の作品を尊重、尊敬することも教えましょう。
5. 間違ったバランスを手直ししていけません。
6. 芸術分野において、競争させてはいけません。
7. 作品取り組むための空間と道具を用意しましょう。
8. アートクラスに通わせましょう。
9. 描き方を(教えようと)見せてはいけません。


これらは、教師にも当てはまることですが、私はさらに、下記のような事柄も教師にとって必要だと考えています。

1. 実験的な事柄も許容されるべき。
2. できるだけ多くの子供たちが自分に合うものを見つけるために、あらゆる材料や経験が用意されているべき。
3. 「教えすぎ」の罠にはまらなないように気をつけて。教師は、子供が必要としている時、放っておいて欲しい時を見極めなくてはならない。


最後に、芸術系ギフテッドの子供に対応しきれないと不安を感じている、ご両親と教師に励ましの言葉を。

自分が芸術についてあまり知らないと心配しないでください。レンブラントやゴッホの両親だって知らなかったのですから。
塗り絵やら、絵を描く方法の本は全て焼いてしまいましょう。新しいものも買ってはいけません。そんなことよりも、美術館やギャラリーに足を運び、図書館の美術セクションに親しみましょう!


あなたの子供の想像力を楽しんでください。でも、ちやほや騒ぎ立ててはいけませんよ。


参考文献
Eisner, E. W. (1979). The educational imagination. New York: The Macmillan Co.
Gaitskell, C. (1958). Children and their art. USA: Brace and World.
Lowenfeld, V. (1965). Your child and his art: a guide for parents. New York: The Macmillan Co.


実例を読んで、こういう子達は学校の授業では、よほどの先生じゃないとはじかれるのだろうなあと思いました。自分に美術の才能があるなんて夢にも思っていない芸術系ギフテッドがたくさんいるのではないかしら。
でも、ダ・ヴィンチの作品のほとんどが40歳以降のものだというし、音楽と違って、大人になってから、のびのび作品作りを楽しみ、才能に気づくということもあるかもしれないですよね??

にほんブログ村 子育てブログ ギフテッドチャイルド育児へ
にほんブログ村
[PR]
# by Michi-mama3 | 2013-11-05 22:39 | ギフテッドの親業


幼稚園練習クラスの先生から、ミチの「どうして?」の連続でクラスの進行に困っていると言われ、「これはもう、徹子さん路線の子育てだな」と悟り、『窓際のトットちゃん』を読みました。??

小学生の時にブームだったので読みましたが、その時は、「楽しそうな学校でいいなあ、戦争は良くないなあ」くらいの感想。
しかし、視点が変われば面白いもので、今回は「ああ、トットちゃんがやらかしたアレもコレもミチもやりそうだ~。」と、笑いながら読み進め、そして、少し肩の力がぬけました。


また、舞台が私にとってすごく馴染みのある場所で、特に自由が丘から九品仏の小川(今は暗渠化した遊歩道)、大きな池(今はねこじゃらし公園)など、戦前の様子を思い浮かべては、その世界に入り込んでビビッドなイメージを楽しめる読書となりました。(日頃実用書が多く、小説は久しぶりだったのです。)


そして、トモエ学園を創立し、たった8年で空襲、学園閉鎖せざるを得なかった小林校長の無念さに思いを馳せました。そして、小林校長の志を継いだ学園が今現在存在しないことを心から残念に思います。

実は、トットちゃんが退学になった、北千束の赤松小学校は、ミチが通う予定だった小学校です。 「これも、きっと何かの知らせなんだわ。」なんて、思いつつ、ミチの世界を応援しようと思いました。


とはいえ、今日も「早くしなさ〜いっ!」「あぶないでしょっ!」の連続でしたが!苦笑


にほんブログ村 子育てブログ ギフテッドチャイルド育児へ
にほんブログ村
[PR]
# by Michi-mama3 | 2013-10-30 22:39 | ミチの親業メモ

間が空きましたが、自分についての振り返りの続きを書いておこうと思います。

今回は、小学6年生途中から、中学時代を振り返ってみます。

荒れた校区から、越した先は、関東のモデル校。修学旅行も終えたあと、卒業式までと短い期間でした。この学校は、当時の郊外にしては、中学受験など進学に熱心な家庭が多かったような気がします。

暇そうに遊び相手を探していた私は、塾通いに熱心なお母さんから、ちょっと鬱陶しがられていた記憶もあります。それでも、クラブ活動を通じて友達ができ、楽しくやっていました。

卒業アルバムのクラスのページでは、色んな “ベスト3” を取り上げていて(ザ・ベストテン!の真似ですね。)、その中で、「理屈っぽい」というのにランクインしてしまいました。女子として、可愛くない項目にランクインしたのは、非常に不本意でしたが、弁が立つ男のクラスメートと毎日あれやこれや言いあっていたので、こうなってしまったのだと思います。(男子と言い合う傾向はずっと続き、思春期以降は「女のくせに」と嫌われることも。)

この学校の卒業までの間に、両親は、隣の市に家を買ったので、中学は他の校区に移ることになります。(その後、父は単身赴任を重ねることになります。)


環境に無頓着だった両親が選んだのは、進学熱心なご家庭の多い市にあって、比較的勉強に不熱心な学区でした。そのおかげで、私は自分が勉強ができるという錯覚を起こし、勉強が楽しくなり、中学時代は極めて成績優秀でした。こんなに成績が良かったのは、後にも先にも、この中学3年間だけです。

算数は苦手だったのに数学が楽しくなったのには自分もビックリ。大きな桁の計算ドリルから解放されたのと、方程式が性に合っていたんだと思います。図形の証明問題も、パズルを解くみたいに楽しいので、自ら難問に臨んでいました。一番苦労していたのは、社会、特に年号やカタカナの言葉の暗記です。今でも、数字や表音文字は頭に残りません~。


中学時代の美術の先生は、彫刻が専門で(しかも高校の先輩にあたります)、デッサン、エッチング、彫刻が多かったのですが、これは私にフィットしていて、没頭、満喫でき、美術がますます好きになりました。

音楽の先生は、気の合わない先生でしたが、ベートーヴェンの交響曲のスコアを見ながら聞くという授業は、面白かったです。

あ、体育はずっと2でした。チーム球技が好きな中学で、ボールを最後まで目で追えない私は、みんなに謝ってばかりでした。マラソン大会も苦痛でした〜。不良達が体育祭に燃えるのも、超迷惑でした、笑。

この頃は、同級生と社交はするものの、心から打ち解けられる友達はほとんどゼロ。「私は一匹狼だ」と、思っていました。

素直な子が多い学校ではありましたが、いわゆる良くない学校だったので、全般的に公共モラルが低く、家では文句タラタラ、「みんな私みたいな人だったらいいのに!」と、本気で吠えていて、父から、「色んな人がいるから世界は楽しいんだ。」と、諭されていました。

歴史の授業で、狂歌「白河の清き川に住みかねてもとのにごりの田沼恋しき」を知れば、「田沼が恋しいだと? 清い川に住めないようなヤツはいない方がマシだ!」と、心底思い、家でも熱く語っていました。。(この極端さは20代半ばまで続きますが、今は正義感や熱さはなくなり、どちらかというと厭世的になりがちです。)

そういえば、中学2年生の時の担任は、私には学校&授業がつまないだろうと、わざわざ放課後に教科書を先に進める授業をしてくれていました。今思うととてもありがたいです。

休み時間は、素直系の不良達に勉強を教えたり、職員室に質問を携えて遊びに行っていました。(職員室にいる時間が長かったです。)
先生達からは、「ミチヨが職員室に入ってくるとどんな質問されるのかとドキドキする。」と、言われていました。正直な気持ちだったのでしょうが、先生にはそんなこと言って欲しくなかったです〜。やっぱり先生にはどんどんハードルをあげていって欲しかったなと当時も今振振り返っても思います。


中学校での交友関係がとても物足りないせいで、学校を越えた好奇心満たせる交流があれば良いのにとも思っていました。地元で難しいとされる高校に行けば、この願いも叶うに違いないというのが、受験勉強の大きなモチベーションでもありました。

それと、運動ができるのは、誰からも大いに賞賛されるのに、勉強ができることは、逆にカッコ悪い風潮があること、女子ならなおさら、と、いうところにかなり不満を持っていました。
(好きな男子でもいれば、たまには猫かぶって勉強できないフリでもしたのでしょうが、「優秀な子が集まる高校に行けば、様々な不満が解決されるはず」と思っていたので、逆に受験向けの勉強に燃えました。)

また、相変わらずケアレスミスは、目立っていて、先生に首を傾げれることしきり。特に、力を抜いたテストでのケアレスミスがひどく、ア、イ、ウの選択肢に対して、イ、ロ、ハで答えたり…。苦笑


中学時代は、地元の進学塾に、日曜日の午前中に通っていました。平日は部活動以外に用事はなかったので、とてものんびりしていたと思います。それでも、放課後に同じ学校の子と遊ぶことはあまりなく、試験勉強のない日は、家に帰って、自分の部屋で寝っ転がったりして、ぼーっとした後、本を読んだり、家事で忙しい母相手にどうでもいいことをしゃべりまくったりして、テレビを見て、宿題、夕食、お風呂、寝る、といった毎日でした。


そして、高校受験なのですが、当時はこの地区は公立が人気だったので、公立高校が第一志望。
内申書関係なく一発勝負で、ケアレスミスなければ、満点もありえるというタイプの試験問題で、毎回ほぼ満点とれるのが快感で試験勉強をしていました。これが、高校からの伸び悩みの原因の一つかもしれないなと今になって思います。


あと、中学時代で、忘れられない担任の先生からの言葉があります。
家庭訪問で、「ミチヨさんは遊ばないので、心配です。」と。まともな大人になれないんじゃないかというニュアンスでした。
そこで先生に、「そんな先生、ジグソーパズルとかやってますよぉ~。」と、言ったら、「そういうのは遊びとはいわなくて…、苦笑。」と言われたのが、けっこう残っています。同級生から疎外感あるのは構わなかったのですが、先生からそう言われるのは、まあまあインパクトありました。

両親も、「私達の子なのに、こんなに勉強が好きなんて、おかしい、突然変異だ。」とか言っていましたが、う~ん、そうじゃなくって、もっと励ます言葉があったでしょうに、と、子を持つ今思います。(両親は褒めてるつもりで言っていたのでしょうが、やっぱり子供としては、「こんなに頑張って、さすが自分達の子だ」という褒め方の方が嬉しいです。)


ちなみに、中学時代の習い事は、日曜日の塾だけです。ピアノは中学に上がったのを機に、辞めました。辞めて清々したのですが、こんなに嫌いになるなんて…です。この時、ピアノは音楽ではなく、毎日コツコツ練習するという根性を鍛えるための習い事になっていたんだと思います。


最後に、高校入試なのですが、本命の公立高校発表のときに、家族みんなで見に行こう!と提案する両親に、「私は一人で見に行って、合格したよ、って、電話するのを夢見て勉強してきたんだから、ついてきて欲しくない!」と、言ったのに、祭り気分の両親は自分は行きたいと言い張り、「なら、私は行かない!家にいる!」と、ごねた私。
ええ、両親は、まんまと私を置いて、弟と発表を見に行ってました。合格だったのですが、このことがずっと消化不良気分で、スッキリしませんでした。やりきった感がないというか…。今思い出しても、消化不良気分です。

そんな、勉強大好きな中学時代でしたが、高校に上がってからはかなり低迷します〜。


にほんブログ村 子育てブログ ギフテッドチャイルド育児へ
にほんブログ村
[PR]
# by Michi-mama3 | 2013-10-28 22:54 | 自己紹介
ブログ記事仕分では、「ミチくんのできたよ!メモ」なのですが、できてないことばかりで、恐縮です…。せめて仕分カテゴリだけでも前向きに、と、思います。


来月で3歳。 集団生活もはじまり、奇行というか、変わってるというか、「普通と違う感」が目立ち始めてきました。

いちいち、ドラマチックなところ、刺激受け過ぎ、衝動的なのは、OEに起因しているのでしょうか、それともADHDでしょうか。

今日もお出かけしました。人ごみで、パパといるとひどくハイパーになります。
そんな時の、興奮している走り方、体の動かし方には、違和感があります。もちろん表情も。
(そんな時でも、生演奏が聞けたりすると、30分以上静かに落ち着いて聞き入っていました。)

呼べばなんとか聞こえているし、手をつなごうと言えば、手を出しますが、圧倒的に違和感です。やんちゃでは済まないものを感じます。表情、体の使い方から…。母の直感というか。

ずっと3歳健診に相談するつもりでいたのですが、3歳すぐに健診があるわけではないようで、どうも待っていられないという気がしてきました。遠足いけなかったのと、小児科でのコメントで弱ってるというのもあります〜。

週明けにでも、近くの支援センターに、電話してみようかどうかと思っています〜?? はあ…


にほんブログ村 子育てブログ ギフテッドチャイルド育児へ
にほんブログ村
[PR]
# by Michi-mama3 | 2013-10-26 18:10 | ミチくんのできたよ!メモ

2歳11ヶ月 なりたてメモ

2歳11ヶ月

幼稚園付属の幼稚園までの練習クラスに週3日通い始めました。英語の幼稚園です。
泣いたのは初日だけ。この練習クラスは英語が母国語ではない子供ばかりなので、ミチも気楽にやっているようです。

通い始めてから、靴の脱ぎ履き、ズボンの上げ下ろし、歯磨きなど、園で自分でやらなくてはならないことだけは、家でも積極的にするようになりました。ほっ。

通い始めて間もないので、今後英語がどうなるかわかりませんが、ここ数日で、日本語のレベルが一段上がった気がします。会話がより複雑&スムーズになってきたので、私もミチとの会話が楽しいです。



集団生活がはじまり、案の定というか…
気になることを言われたので、メモしておきます。

● 幼稚園の先生から

・名前を呼んでも反応がない
・止まれ、座って、などの指示が入らない
・ミチの「どうして?」が続くことで、クラスが進まない
(ここに座ってね→どうして?→これからみんなでおやつを食べるから→どうして? など)

ということで、遠足があったのですが、指示が通らないので危ないと判断され、ミチは欠席することになりました…。


● 小児科の先生から

出口で靴を履き替えている時に、わざわざ診察室から出てこられて、
「言葉は出てる? 目が合いにくいなあと思ったから。」と。
よくしゃべるということと、いわゆる育てにくい子だと思うと伝えたら、3歳健診で相談してみるようにアドバイスいただきました。
加えて、肩と背中をマッサージしてくださいました!
ミチはうっとり。
「緊張しやすいから、お母さんもマッサージしてあげてね。」と。
背中のマッサージ、すごく気に入っています。


これをきっかけに、目が合いにくいと言われて、他の子供の目をよく見るようになりました。
先生の意味するところがわかってきたような気がします。

先日子供の集まる場所で、「ん?お仲間かな?」 という目をした子がいたのですが、
その子は、集中力発揮して、マグネットのおもちゃで大きな作品を作っていました。一方、粗い遊びで、閉じ込められた感じになった時に、パニックになっていました。

目が合いにくいというより、自分の世界を生きている目というか、そんな感じでしょうか。



相変わらず、音楽が好きで、ヘンデルのアリアがお気に入りです。
ヘンデルのアリア好きなミチのために買ったCD、Danielle De Neise の 『Handel Aria』が好きで、この中にあった 『Rinaldo 私を泣かせてください』にはまっています。

you tube でも見つけたので、iPadにダウンロードしたのですが、CDよりも、こちらの演奏の方が良いらしいです。
http://youtu.be/GssMS-fypiU

あと、音楽に関しては、上手くない演奏に厳しい傾向があり、園の先生のピアノにご機嫌斜めだったり、園の上級生の合唱に「これはダメ!」と不満顔をしたりしていました。



遊びは、自動車から離れつつあって、今は電車が好きです。IKEAで買って増やした線路をつないで遊んでいます。夜寝る前に、「ママ、片付けないでね♥」とかわいく言っています。笑。
外出時も、基本、電車の世界に入っていることが多く、走っては、電車になりきり、大人が通り過ぎれば、特急電車ということになり…。正直、ちょっと変です。苦笑。


また、しまじろうの妹のはなちゃん人形が届いて以来、赤ちゃんに興味がありますが、赤ちゃんが泣くと、パニック風になります。子供の泣き声も同様です。地雷のひとつです。全身を使って反応することがあるので(特に背中を反ります…)、ケガをしないかヒヤヒヤです。


それと、シマシマブームです。シマシマの服を着たがります。ミチ的には、シマシマの服を着ていた赤ちゃんが可愛かったからということらしいのですが、夫曰く、「シマシマ着ている子は落ち着きのない子が多いぞ。」と。
確かに、先日みかけた “お仲間” と思われる子もシマシマでした。シマシマ着ていると落ち着きがなくなるなんてことはないと思うのですが、特定の子供には、シマシマの見え方が面白いということがあったりするのでしょうか。共感覚の記事を拝見して思いました。


ここのところ、連休も多く、「興奮するとぴょんぴょんして、ちゃんと歩けない」「興奮ついでに帽子やら水筒をマンションの踊り場や海に投げる」という衝動的な危険行為も目立ちました…。 基本、パパといる時にこうなってしまうのですが、夫は、犬ともちゃんと歩けないし、他の子も異常に興奮させる遊び方をします。 外出時は興奮させないように、夫にお願いしたら、少しマシになったらしいです。


にほんブログ村 子育てブログ ギフテッドチャイルド育児へ
にほんブログ村
[PR]
# by Michi-mama3 | 2013-10-23 11:04 | ミチくんのできたよ!メモ

自分も痛いと泣き叫ぶ


久しぶりの地雷記事です。

今日の出来事です。赤とゴールドの綺麗なサリーを着たインド人女性に見惚れるミチ。 あまりにもじっと見ているものだから、その女性が声をかけてきてくれました。

インド領事関係の女性とのこと。今日はインド人コミュニティのお祭りがあるから、綺麗に着飾っていると教えてくれました。

握手しましょうと、ミチに差し出してくれた手には綺麗な模様。ゴールドのアクセサリーもとても綺麗で、ミチは夢中になっていました。

「また会いたいから、バイバイ言いたくない」と、グズグズ言い出し、それを私が彼女に説明しているところにーー

お爺さんが自転車で通りがかり、そのお爺さんも、彼女に見惚れてしまったのか、私達の真横で大転倒! 救出しようとしたら、

はあ??

ミチが大変でした…。 自分も痛いと泣き叫び、ジャンプしてひっくり返る…。(プロレス状態)
私が手をつないでいなかったら、頭を地面で強打するところでした…。しかも石畳。


私はせっかく動きやすい格好をしていたのに、ミチの対応に追われてしまい、結局、綺麗なサリーを着た彼女がしゃがみこんで助けることに。(お爺さんは、お礼も言わずに走り去り…。英語だったからだと思いたい。)

そんなかんだで、ミチは、彼女にあいさつするどころではなくなり、ずーっと大騒ぎ。なんでも、自分も痛いとか。??

「痛くないよ〜、だってミチはどこも打ってないでしょ?」と、言い続けていましたが、効果なく、「あ、これはOE?」と思い直し、「すごくビックリしたんだよね〜。そっかそっか、ミチも痛いと思ったの。でもほれ、よく思い出してみ、ミチは転んでないからどこも痛くないよ。」と、ヨシヨシしたら、少しマシになりました。(が、その後、お爺さんの転倒した場所で、転がってました…。)


それにしても、頭を強打しなくて良かったです。
いつか、この怪我しそうなくらいに体を使った反応はなくなるのでしょうか。
大怪我せずに、無事大きくなってくれよぉ…。??


にほんブログ村 子育てブログ ギフテッドチャイルド育児へ
にほんブログ村
[PR]
# by Michi-mama3 | 2013-10-22 16:56 | ミチくんの地雷メモ

自分について振り返るのが、思いのほか長くなり、連続してしまいました。振り返りについては、今現在にいたるところまで続けようと思っているのですが、今回は、一旦休憩。
以前から、訳してみようと思っていた記事を3回くらいに分けて順に紹介しようと思います。


元記事は、こちらです。

*訳間違いありましたら、教えていただけると勉強になります。よろしくお願いします。



『芸術系ギフテッドの特徴 〜見分けポイント〜』

芸術系ギフテッドは、音楽系ギフテッドほど、早期に才能を見せるとは限りません。また、その判定方が確立されているわけでもありません。

ギフテッド教育は、社会の階層化を徐助長するだけだという否定的な意見もありますが、芸術系ギフテッドの子供達への特別な教育は、彼らの才能を開花させるために、大いに役立つはずです。

さて、まずはどのようにして、芸術分野においてギフテッドかどうかを見分けることができるのでしょうか。

芸術系ギフテッドの場合、音楽系ギフテッドのモーツァルトやメンデルスゾーンのように、早期に才能が分かるということはありません。早期に分かれば良いのですが、芸術系では難しいのです。例えば、レンブラントは学問も優秀で、14歳で大学に通っていますが、子供の頃に描いた作品は見つかっておらず、最も早い時期のもので、19歳で描いた作品です。

レオナルド・ダ・ヴィンチも、あらゆる分野で才能がありますが、15歳での作品があるものの、ほとんどの作品は、40歳以降のものです。
マチスやゴッホも、子供の頃に才能が見られたのかどうかも定かではありません。20歳を過ぎてから絵を描き始めたのですから。
ピカソは特別です。彼の父親はアートの先生で、彼は10代で、大人のような作品を描いています。

芸術系ギフテッドについての研究は、ゲイツケルとロウェンフェルドが、長期調査をしており、よく知られています。彼らは、芸術系ギフテッドには以下のような特徴(見分けポイント)があると、共通の見解を持っています。



《芸術系ギフテッドの特徴》~見分けポイント~

1. 想像力、表現力が豊か。考えを素早く書き留めるのが苦手。外からの刺激がなくとも、次から次へとアイデアが浮かぶ。(自分のアイデアが次のアイデアを引き起こす。)

2. 特定の感覚が優れていることがある。例えば、動き、空間、リズム、色、など。
(テンペラ画だけに興味があり、その他の道具を用いて描くことに全く興味がない子がいたり、動作を捉えることにのみ興味がある子がいたり。)

3. 考えたことと、知覚したことと、心で感じ取ったことを、一緒にまとめて(統合して)表現することがある。

4. 想像力の豊かさが際立っている。独自の信条があり、真似をする必要がない。

5. 自分にとって意味のある時だけ、表現力豊かに描く。学校の先生が設定した課題にノッて取り組むとは限らない。

6. 作品の主題や絵道具は自分自身。芸術系ギフテッドの子供達は、作品の中に生きている。絵道具は指先の延長であり、作品は非常に個人的なもので、内面を視覚化する必要があってできあがったもの。

7. こういった子供のほとんどが、2歳以前に上手に線を描くことができていて、機会があれば、15ヶ月以前に描くことができている。

8. 知能は常に平均以上である。芸術系ギフテッド全ての人が、高いIQを示すが、その逆はない。(IQの高い人のほとんどは、芸術においては平均以下。)

9. 全ての芸術系ギフテッドは、絵道具の使い方が秀逸である。

10. デザインへの感受性が高い。

11. 一人一人の子供が非常に独特で独創的、発明の才がある。

12. 芸術系ギフテッドの子供は、自分の好きな芸術形式に自ら取り組む。周りが取り組むように促す必要はない。


以上が、芸術系ギフテッドの特徴であり、見分けポイントですが、上記全ての条件を満たす必要はありません。

つづく…

この記事の続きは、芸術系ギフテッドの子供の実例です。落ち着いた時間が取れた時に、また訳してみたいと思います! 音楽系ギフテッドの記事もいつか訳してみたいと思っています。??


にほんブログ村 子育てブログ ギフテッドチャイルド育児へ
にほんブログ村
[PR]
# by Michi-mama3 | 2013-10-20 21:36 | ギフテッドの特徴
大好きで尊敬しているあーちゃんママさんが、ギフカテからいなくなってしまい、驚きました。

軸を失ってしまったような気持ちです。でも、あーちゃんママさんのギフカテ抜ける理由を書かれたブログから、ギフテッドの子供達とその親御さんへの深い愛情を感じ、頑張ろうという気持ちも湧いてきました。本当にありがとうございます。

そして、あーちゃんママさんの器の大きさと判断の早さが、これまたカッコいいなあと尊敬。あーちゃんママさんのブログの客観的でバランスのとれた文章は、知性を感じ、気持ちが良くなります。大好きです。これからも、あーちゃんブログ訪れます!(ミチにミルクをあげていた頃、あーちゃんの年の辰年くらいからのファンです??)


☆☆☆

今回のブログでは、小学生高学年時代について、文章にしてみようと思います。

父の転勤にともない、小学3年生の1月に、関東から関西に引越し、転校しました。
かなりガラの悪い地域の小学校への転校。しかも、横浜銀蝿が流行っていた時代で(古いですね。笑)、この校区の中学校は不良満載&事件満載という環境でした。でも、大規模社宅に住んでいたので、近所の遊び友達は、自分と同じように転校を重ねていて、気の合う仲間がいる安心感もありました。

転入してすぐは、関東弁の私は「こいつなまっとるぅ~」ということで、いじめられました。とはいえ、大したイジメではなく、無視するとか、いちいちイチャモンつけてくるといったレベルではありました。

この学校への転校とイジメをきっかけに、関東でボーッと過ごしていた私の目が覚めたようなところがあります。人間について真剣に考えるようになりました。イジメの派閥もあるような学校で、生き延びるために目覚めざるを得なかったというところでしょうか、苦笑。

クラス替えもある4年生への進級。生き延びるためにどうしたら良いかと、人気者を観察しました。私の出した結論が、「みんなを笑わせれば、人気者になれる」でした。関西でしたので、笑。
一方、イジメグループと一線を引くために「清く正しく、自分を持つ」といった態度も身につけました。(“清く正しく”は強さでもあると思っていました。)

時は漫才ブーム。小学4年生から、休み時間の度に、みんなを笑わせるエンターテインもできるようになりました。人格激変です。「ミチヨちゃん、漫才師になったらええのんとちゃう?」と言われるまでに、成長(?)しました。

くわえて、この学校は日教組バリバリの学校で、競争はNG。運動会で勝ち負けはなし、通知表は、たったの2段階評価でした。ということで、すべての評価が「できる」となることもあったりして、自分は優秀なんじゃないかと勘違いできたのはラッキーでした。(勉強へのモチベーションがあがってきました。しかし、競争大好きの私には、ここの運動会は衝撃的でした。)

子供ながらに、日教組教育には、ツッコミどころ満載だなとは思っていましたが、そんな中で、私にとって良かったことが一つありました。

それは理科の授業の進め方なのですが、

①皆で意見を出し複数の仮説をたてる
②自分の支持する仮説が正しいと思う理由を出し合う
③皆の考えを聞いた後に再度支持する仮説を決める

というもの。

これが私にフィットして、超イキイキ。仮説を出し、支持する理由を述べ、正解した後の「やった~!」という達成感。これはノビノビ楽しかったです。

算数もノビノビとオリジナルの解き方をしたりしたのですが、「このようにも解けますが、まだ習わない解き方なので、今習っている方法で解きましょう。」と言われたのを機に、算数はやる気が失せたのも覚えています。それまでも、解法を書くのはめんどくさい、答えが合ってるんだからいいじゃん、計算ドリルも面倒だし、大きい桁の割り算なんて、めんどくさいはケアレスミスで余りがないはずの問題でも余りが出るはで、大嫌い。と、算数には苦手意識がありました。

(こうやって書くと、めんどくさいことが大嫌いなのは子供の頃からだと気づきました。めんどくさがりは、今も変わりません。乳児期の育児は苦痛でした…。ボタンが何個あるんだこの服は!みたいな…。苦笑)


また、この頃、それなりに哲学していて、「大衆は流されやすい。多数決で決まることは、大抵不正解だ。」「人を扇動するのは案外簡単だ。」「言葉には力がある。」などと考えていたのを覚えています。

委員を務めたり、リーダーにもなりました。そういえば、この学校でも、不登校児や知的に支援の必要なクラスメートのサポート役を先生に頼まれていました。


家では以前に増して空想少女。父がSF好きで、自宅にSFの本が大量にあったこともあり、小松左京や星新一など、とっつきやすいものを読みまくっていました。そのせいか、SF的空想が多かったです。階段の途中に座って考え事をするのも好きで、気がつくと1時間くらい同じ場所にいたということもありました。

気がつくと1時間、と言えば、宿題の漢字練習や計算ドリルなど、めんどくさい宿題は、どうにか簡単にできる方法はないかと考えて、1時間くらいあっという間に過ぎ、そんな方法はないから、結局後回しにして、寝る前に泣きながらやったりしていました。

こんなでしたから、はたからみると、何もしないで止まっている時間が長い子だったんじゃないかと思います。笑 (だから母はイライラしていたんですかねえ)


そして、忘れ物も多かったです。しっかり者のイメージなので、忘れ物を取り締まる役を仰せつかったりしたのですが、その私が「忘れ物一位」になるという、先生には残念、クラスのみんなは大喜び、といったこともありました。ちなみに、一番大きな忘れ物は、ランドセルです。(傘だけ持って楽しく登校しました。)


ピアノは、とうとう本格的におもしろくなくなって、適当にしか練習せず、やり過ごしていました。発表会の曲だけ、やる気を出すものだから、先生が思っていたよりもずっと早く弾けるようになり、曲目を追加することになることも。次の発表会には◯◯を弾きたいから、そのためにこの練習をしましょう、という風にレッスンを進めてくれたら良いのに、と思っていました。


そういえば、この頃は、母が怖かったのを覚えています。きっと、色々しつけ、矯正したかったんだと思います。基本的には、言ってもなかなかやらない、口ごたえが過ぎる、お姉ちゃんなんだから弟に譲れ、というところではないかと思います。毎日叱られて泣いていました。(負けず嫌いの泣き方です。泣きすぎて「息ができない死ぬ!」と泣いていました、苦笑。ミチが同じ系統です…。)
この頃、父は私の味方で、褒めて育てる方式だったのですが、母は、父が甘やかすからますますいうことを聞かないと怒っていたのも覚えています。


***
振り返れば振り返るほど、ミチが私と似たタイプなので、今後の自分のためにも、母がどう言えば私は“良い子”だったのか考えてみるとします。

う~ん、私は、言うことをきいていないつもりはなく、言うことを聞く気はあったと思います。たぶん。やっぱり褒められたいし、良い子だと思われたかったので。

きっと、「自分のペース&自分のやり方で“やってみたい”から放っておいてくれ」といったところでしょうか。先回りして欲しくなくて、失敗も含めて経験してみたいというか…。あと、命令されたくないというか…。(面倒なやっちゃ、ですね~)

となると、問答形式ですかねえ。時間かかるし、頭使うし、親はしんどいですね~。

そう思うと、母がブチ切れていたのも分からなくはありません。愛があるほど、ブチ切れ頻度が上がりますものねえ。これを書きながら、「必死に真っ当な人間に育てようとしてくれてありがとう、お母さん」と、思いました。あとで、母にメールでも入れておくとします。
***


この時期、もっとこうして欲しかったなあ、というのがあるとすれば、色んな知識を吸収する機会がもっと欲しかったなあというのがあります。手元の百科事典は愛読していましたが、おもしろ実用書的なものがもっと家にあったらかなり楽しめたと思います。(エリンさんのモモちゃんが理想の環境です!)

母が、買い与えてくれたのは、文学小説と伝記で、どっちも興味がなかったのです。こういった大人が読ませたい系の本が嫌いなので、自分は読書が嫌いなのだと思っていました。(伝記に関しては、読むのが嫌いなくせに、自分も伝記になるような人になろうと本気で思っていました。どうやったら伝記になるのか研究するという目的で伝記を読んだり。苦笑)

小説も読むのは嫌いなわりに、空想家ではあるので、交換日記のように物語を書いたり漫画を描いたりする仲間を募って、楽しんでいました。


また、この頃、英語を習っていたのですが、できない子に合わせるものだから、先に進まず、残念に思っていたのを覚えています。「学校の先生も英語の先生も、覚えの遅い子の方がかわいいんだ。早い子は、かまってもらえないし、損。さみしいなあ。」と、いったところです。


この校区は、恐ろしい中学だったので、中学受験したいと母に言ってみたものの、相手にされず、塾にも通っていませんでした。小学6年生になって、関東に転校が決まった時には、愉快な友達と離れるのは淋しいけれど、命拾いしたと心底ホッとしたものでした。


高学年ともなると記憶がたくさんあるので、色んなことが走馬灯のように思い出されます。
毎日、死ぬとか言いながら泣いていたからか、生き延びることに必死だったからか、虚弱体質風でした。副鼻腔炎、しもやけ、便秘、と、全体的に滞ってました。中医学でいうところの瘀血ってやつなのかな?

にほんブログ村 子育てブログ ギフテッドチャイルド育児へ
にほんブログ村
[PR]
# by Michi-mama3 | 2013-10-19 21:37 | 自己紹介