育てにくい息子について調べていてギフテッドについて知りました。息子がギフテッドかどうかはさておき、ギフテッドについて調べたことや日常をメモしておこうと思いこのブログをはじめました。


by Michi-mama3

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幼稚園練習クラスの先生から、ミチの「どうして?」の連続でクラスの進行に困っていると言われ、「これはもう、徹子さん路線の子育てだな」と悟り、『窓際のトットちゃん』を読みました。??

小学生の時にブームだったので読みましたが、その時は、「楽しそうな学校でいいなあ、戦争は良くないなあ」くらいの感想。
しかし、視点が変われば面白いもので、今回は「ああ、トットちゃんがやらかしたアレもコレもミチもやりそうだ~。」と、笑いながら読み進め、そして、少し肩の力がぬけました。


また、舞台が私にとってすごく馴染みのある場所で、特に自由が丘から九品仏の小川(今は暗渠化した遊歩道)、大きな池(今はねこじゃらし公園)など、戦前の様子を思い浮かべては、その世界に入り込んでビビッドなイメージを楽しめる読書となりました。(日頃実用書が多く、小説は久しぶりだったのです。)


そして、トモエ学園を創立し、たった8年で空襲、学園閉鎖せざるを得なかった小林校長の無念さに思いを馳せました。そして、小林校長の志を継いだ学園が今現在存在しないことを心から残念に思います。

実は、トットちゃんが退学になった、北千束の赤松小学校は、ミチが通う予定だった小学校です。 「これも、きっと何かの知らせなんだわ。」なんて、思いつつ、ミチの世界を応援しようと思いました。


とはいえ、今日も「早くしなさ〜いっ!」「あぶないでしょっ!」の連続でしたが!苦笑


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by Michi-mama3 | 2013-10-30 22:39 | ミチの親業メモ

間が空きましたが、自分についての振り返りの続きを書いておこうと思います。

今回は、小学6年生途中から、中学時代を振り返ってみます。

荒れた校区から、越した先は、関東のモデル校。修学旅行も終えたあと、卒業式までと短い期間でした。この学校は、当時の郊外にしては、中学受験など進学に熱心な家庭が多かったような気がします。

暇そうに遊び相手を探していた私は、塾通いに熱心なお母さんから、ちょっと鬱陶しがられていた記憶もあります。それでも、クラブ活動を通じて友達ができ、楽しくやっていました。

卒業アルバムのクラスのページでは、色んな “ベスト3” を取り上げていて(ザ・ベストテン!の真似ですね。)、その中で、「理屈っぽい」というのにランクインしてしまいました。女子として、可愛くない項目にランクインしたのは、非常に不本意でしたが、弁が立つ男のクラスメートと毎日あれやこれや言いあっていたので、こうなってしまったのだと思います。(男子と言い合う傾向はずっと続き、思春期以降は「女のくせに」と嫌われることも。)

この学校の卒業までの間に、両親は、隣の市に家を買ったので、中学は他の校区に移ることになります。(その後、父は単身赴任を重ねることになります。)


環境に無頓着だった両親が選んだのは、進学熱心なご家庭の多い市にあって、比較的勉強に不熱心な学区でした。そのおかげで、私は自分が勉強ができるという錯覚を起こし、勉強が楽しくなり、中学時代は極めて成績優秀でした。こんなに成績が良かったのは、後にも先にも、この中学3年間だけです。

算数は苦手だったのに数学が楽しくなったのには自分もビックリ。大きな桁の計算ドリルから解放されたのと、方程式が性に合っていたんだと思います。図形の証明問題も、パズルを解くみたいに楽しいので、自ら難問に臨んでいました。一番苦労していたのは、社会、特に年号やカタカナの言葉の暗記です。今でも、数字や表音文字は頭に残りません~。


中学時代の美術の先生は、彫刻が専門で(しかも高校の先輩にあたります)、デッサン、エッチング、彫刻が多かったのですが、これは私にフィットしていて、没頭、満喫でき、美術がますます好きになりました。

音楽の先生は、気の合わない先生でしたが、ベートーヴェンの交響曲のスコアを見ながら聞くという授業は、面白かったです。

あ、体育はずっと2でした。チーム球技が好きな中学で、ボールを最後まで目で追えない私は、みんなに謝ってばかりでした。マラソン大会も苦痛でした〜。不良達が体育祭に燃えるのも、超迷惑でした、笑。

この頃は、同級生と社交はするものの、心から打ち解けられる友達はほとんどゼロ。「私は一匹狼だ」と、思っていました。

素直な子が多い学校ではありましたが、いわゆる良くない学校だったので、全般的に公共モラルが低く、家では文句タラタラ、「みんな私みたいな人だったらいいのに!」と、本気で吠えていて、父から、「色んな人がいるから世界は楽しいんだ。」と、諭されていました。

歴史の授業で、狂歌「白河の清き川に住みかねてもとのにごりの田沼恋しき」を知れば、「田沼が恋しいだと? 清い川に住めないようなヤツはいない方がマシだ!」と、心底思い、家でも熱く語っていました。。(この極端さは20代半ばまで続きますが、今は正義感や熱さはなくなり、どちらかというと厭世的になりがちです。)

そういえば、中学2年生の時の担任は、私には学校&授業がつまないだろうと、わざわざ放課後に教科書を先に進める授業をしてくれていました。今思うととてもありがたいです。

休み時間は、素直系の不良達に勉強を教えたり、職員室に質問を携えて遊びに行っていました。(職員室にいる時間が長かったです。)
先生達からは、「ミチヨが職員室に入ってくるとどんな質問されるのかとドキドキする。」と、言われていました。正直な気持ちだったのでしょうが、先生にはそんなこと言って欲しくなかったです〜。やっぱり先生にはどんどんハードルをあげていって欲しかったなと当時も今振振り返っても思います。


中学校での交友関係がとても物足りないせいで、学校を越えた好奇心満たせる交流があれば良いのにとも思っていました。地元で難しいとされる高校に行けば、この願いも叶うに違いないというのが、受験勉強の大きなモチベーションでもありました。

それと、運動ができるのは、誰からも大いに賞賛されるのに、勉強ができることは、逆にカッコ悪い風潮があること、女子ならなおさら、と、いうところにかなり不満を持っていました。
(好きな男子でもいれば、たまには猫かぶって勉強できないフリでもしたのでしょうが、「優秀な子が集まる高校に行けば、様々な不満が解決されるはず」と思っていたので、逆に受験向けの勉強に燃えました。)

また、相変わらずケアレスミスは、目立っていて、先生に首を傾げれることしきり。特に、力を抜いたテストでのケアレスミスがひどく、ア、イ、ウの選択肢に対して、イ、ロ、ハで答えたり…。苦笑


中学時代は、地元の進学塾に、日曜日の午前中に通っていました。平日は部活動以外に用事はなかったので、とてものんびりしていたと思います。それでも、放課後に同じ学校の子と遊ぶことはあまりなく、試験勉強のない日は、家に帰って、自分の部屋で寝っ転がったりして、ぼーっとした後、本を読んだり、家事で忙しい母相手にどうでもいいことをしゃべりまくったりして、テレビを見て、宿題、夕食、お風呂、寝る、といった毎日でした。


そして、高校受験なのですが、当時はこの地区は公立が人気だったので、公立高校が第一志望。
内申書関係なく一発勝負で、ケアレスミスなければ、満点もありえるというタイプの試験問題で、毎回ほぼ満点とれるのが快感で試験勉強をしていました。これが、高校からの伸び悩みの原因の一つかもしれないなと今になって思います。


あと、中学時代で、忘れられない担任の先生からの言葉があります。
家庭訪問で、「ミチヨさんは遊ばないので、心配です。」と。まともな大人になれないんじゃないかというニュアンスでした。
そこで先生に、「そんな先生、ジグソーパズルとかやってますよぉ~。」と、言ったら、「そういうのは遊びとはいわなくて…、苦笑。」と言われたのが、けっこう残っています。同級生から疎外感あるのは構わなかったのですが、先生からそう言われるのは、まあまあインパクトありました。

両親も、「私達の子なのに、こんなに勉強が好きなんて、おかしい、突然変異だ。」とか言っていましたが、う~ん、そうじゃなくって、もっと励ます言葉があったでしょうに、と、子を持つ今思います。(両親は褒めてるつもりで言っていたのでしょうが、やっぱり子供としては、「こんなに頑張って、さすが自分達の子だ」という褒め方の方が嬉しいです。)


ちなみに、中学時代の習い事は、日曜日の塾だけです。ピアノは中学に上がったのを機に、辞めました。辞めて清々したのですが、こんなに嫌いになるなんて…です。この時、ピアノは音楽ではなく、毎日コツコツ練習するという根性を鍛えるための習い事になっていたんだと思います。


最後に、高校入試なのですが、本命の公立高校発表のときに、家族みんなで見に行こう!と提案する両親に、「私は一人で見に行って、合格したよ、って、電話するのを夢見て勉強してきたんだから、ついてきて欲しくない!」と、言ったのに、祭り気分の両親は自分は行きたいと言い張り、「なら、私は行かない!家にいる!」と、ごねた私。
ええ、両親は、まんまと私を置いて、弟と発表を見に行ってました。合格だったのですが、このことがずっと消化不良気分で、スッキリしませんでした。やりきった感がないというか…。今思い出しても、消化不良気分です。

そんな、勉強大好きな中学時代でしたが、高校に上がってからはかなり低迷します〜。


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by Michi-mama3 | 2013-10-28 22:54 | 自己紹介
ブログ記事仕分では、「ミチくんのできたよ!メモ」なのですが、できてないことばかりで、恐縮です…。せめて仕分カテゴリだけでも前向きに、と、思います。


来月で3歳。 集団生活もはじまり、奇行というか、変わってるというか、「普通と違う感」が目立ち始めてきました。

いちいち、ドラマチックなところ、刺激受け過ぎ、衝動的なのは、OEに起因しているのでしょうか、それともADHDでしょうか。

今日もお出かけしました。人ごみで、パパといるとひどくハイパーになります。
そんな時の、興奮している走り方、体の動かし方には、違和感があります。もちろん表情も。
(そんな時でも、生演奏が聞けたりすると、30分以上静かに落ち着いて聞き入っていました。)

呼べばなんとか聞こえているし、手をつなごうと言えば、手を出しますが、圧倒的に違和感です。やんちゃでは済まないものを感じます。表情、体の使い方から…。母の直感というか。

ずっと3歳健診に相談するつもりでいたのですが、3歳すぐに健診があるわけではないようで、どうも待っていられないという気がしてきました。遠足いけなかったのと、小児科でのコメントで弱ってるというのもあります〜。

週明けにでも、近くの支援センターに、電話してみようかどうかと思っています〜?? はあ…


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by Michi-mama3 | 2013-10-26 18:10 | ミチくんのできたよ!メモ

2歳11ヶ月 なりたてメモ

2歳11ヶ月

幼稚園付属の幼稚園までの練習クラスに週3日通い始めました。英語の幼稚園です。
泣いたのは初日だけ。この練習クラスは英語が母国語ではない子供ばかりなので、ミチも気楽にやっているようです。

通い始めてから、靴の脱ぎ履き、ズボンの上げ下ろし、歯磨きなど、園で自分でやらなくてはならないことだけは、家でも積極的にするようになりました。ほっ。

通い始めて間もないので、今後英語がどうなるかわかりませんが、ここ数日で、日本語のレベルが一段上がった気がします。会話がより複雑&スムーズになってきたので、私もミチとの会話が楽しいです。



集団生活がはじまり、案の定というか…
気になることを言われたので、メモしておきます。

● 幼稚園の先生から

・名前を呼んでも反応がない
・止まれ、座って、などの指示が入らない
・ミチの「どうして?」が続くことで、クラスが進まない
(ここに座ってね→どうして?→これからみんなでおやつを食べるから→どうして? など)

ということで、遠足があったのですが、指示が通らないので危ないと判断され、ミチは欠席することになりました…。


● 小児科の先生から

出口で靴を履き替えている時に、わざわざ診察室から出てこられて、
「言葉は出てる? 目が合いにくいなあと思ったから。」と。
よくしゃべるということと、いわゆる育てにくい子だと思うと伝えたら、3歳健診で相談してみるようにアドバイスいただきました。
加えて、肩と背中をマッサージしてくださいました!
ミチはうっとり。
「緊張しやすいから、お母さんもマッサージしてあげてね。」と。
背中のマッサージ、すごく気に入っています。


これをきっかけに、目が合いにくいと言われて、他の子供の目をよく見るようになりました。
先生の意味するところがわかってきたような気がします。

先日子供の集まる場所で、「ん?お仲間かな?」 という目をした子がいたのですが、
その子は、集中力発揮して、マグネットのおもちゃで大きな作品を作っていました。一方、粗い遊びで、閉じ込められた感じになった時に、パニックになっていました。

目が合いにくいというより、自分の世界を生きている目というか、そんな感じでしょうか。



相変わらず、音楽が好きで、ヘンデルのアリアがお気に入りです。
ヘンデルのアリア好きなミチのために買ったCD、Danielle De Neise の 『Handel Aria』が好きで、この中にあった 『Rinaldo 私を泣かせてください』にはまっています。

you tube でも見つけたので、iPadにダウンロードしたのですが、CDよりも、こちらの演奏の方が良いらしいです。
http://youtu.be/GssMS-fypiU

あと、音楽に関しては、上手くない演奏に厳しい傾向があり、園の先生のピアノにご機嫌斜めだったり、園の上級生の合唱に「これはダメ!」と不満顔をしたりしていました。



遊びは、自動車から離れつつあって、今は電車が好きです。IKEAで買って増やした線路をつないで遊んでいます。夜寝る前に、「ママ、片付けないでね♥」とかわいく言っています。笑。
外出時も、基本、電車の世界に入っていることが多く、走っては、電車になりきり、大人が通り過ぎれば、特急電車ということになり…。正直、ちょっと変です。苦笑。


また、しまじろうの妹のはなちゃん人形が届いて以来、赤ちゃんに興味がありますが、赤ちゃんが泣くと、パニック風になります。子供の泣き声も同様です。地雷のひとつです。全身を使って反応することがあるので(特に背中を反ります…)、ケガをしないかヒヤヒヤです。


それと、シマシマブームです。シマシマの服を着たがります。ミチ的には、シマシマの服を着ていた赤ちゃんが可愛かったからということらしいのですが、夫曰く、「シマシマ着ている子は落ち着きのない子が多いぞ。」と。
確かに、先日みかけた “お仲間” と思われる子もシマシマでした。シマシマ着ていると落ち着きがなくなるなんてことはないと思うのですが、特定の子供には、シマシマの見え方が面白いということがあったりするのでしょうか。共感覚の記事を拝見して思いました。


ここのところ、連休も多く、「興奮するとぴょんぴょんして、ちゃんと歩けない」「興奮ついでに帽子やら水筒をマンションの踊り場や海に投げる」という衝動的な危険行為も目立ちました…。 基本、パパといる時にこうなってしまうのですが、夫は、犬ともちゃんと歩けないし、他の子も異常に興奮させる遊び方をします。 外出時は興奮させないように、夫にお願いしたら、少しマシになったらしいです。


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by Michi-mama3 | 2013-10-23 11:04 | ミチくんのできたよ!メモ

自分も痛いと泣き叫ぶ


久しぶりの地雷記事です。

今日の出来事です。赤とゴールドの綺麗なサリーを着たインド人女性に見惚れるミチ。 あまりにもじっと見ているものだから、その女性が声をかけてきてくれました。

インド領事関係の女性とのこと。今日はインド人コミュニティのお祭りがあるから、綺麗に着飾っていると教えてくれました。

握手しましょうと、ミチに差し出してくれた手には綺麗な模様。ゴールドのアクセサリーもとても綺麗で、ミチは夢中になっていました。

「また会いたいから、バイバイ言いたくない」と、グズグズ言い出し、それを私が彼女に説明しているところにーー

お爺さんが自転車で通りがかり、そのお爺さんも、彼女に見惚れてしまったのか、私達の真横で大転倒! 救出しようとしたら、

はあ??

ミチが大変でした…。 自分も痛いと泣き叫び、ジャンプしてひっくり返る…。(プロレス状態)
私が手をつないでいなかったら、頭を地面で強打するところでした…。しかも石畳。


私はせっかく動きやすい格好をしていたのに、ミチの対応に追われてしまい、結局、綺麗なサリーを着た彼女がしゃがみこんで助けることに。(お爺さんは、お礼も言わずに走り去り…。英語だったからだと思いたい。)

そんなかんだで、ミチは、彼女にあいさつするどころではなくなり、ずーっと大騒ぎ。なんでも、自分も痛いとか。??

「痛くないよ〜、だってミチはどこも打ってないでしょ?」と、言い続けていましたが、効果なく、「あ、これはOE?」と思い直し、「すごくビックリしたんだよね〜。そっかそっか、ミチも痛いと思ったの。でもほれ、よく思い出してみ、ミチは転んでないからどこも痛くないよ。」と、ヨシヨシしたら、少しマシになりました。(が、その後、お爺さんの転倒した場所で、転がってました…。)


それにしても、頭を強打しなくて良かったです。
いつか、この怪我しそうなくらいに体を使った反応はなくなるのでしょうか。
大怪我せずに、無事大きくなってくれよぉ…。??


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by Michi-mama3 | 2013-10-22 16:56 | ミチくんの地雷メモ

自分について振り返るのが、思いのほか長くなり、連続してしまいました。振り返りについては、今現在にいたるところまで続けようと思っているのですが、今回は、一旦休憩。
以前から、訳してみようと思っていた記事を3回くらいに分けて順に紹介しようと思います。


元記事は、こちらです。

*訳間違いありましたら、教えていただけると勉強になります。よろしくお願いします。



『芸術系ギフテッドの特徴 〜見分けポイント〜』

芸術系ギフテッドは、音楽系ギフテッドほど、早期に才能を見せるとは限りません。また、その判定方が確立されているわけでもありません。

ギフテッド教育は、社会の階層化を徐助長するだけだという否定的な意見もありますが、芸術系ギフテッドの子供達への特別な教育は、彼らの才能を開花させるために、大いに役立つはずです。

さて、まずはどのようにして、芸術分野においてギフテッドかどうかを見分けることができるのでしょうか。

芸術系ギフテッドの場合、音楽系ギフテッドのモーツァルトやメンデルスゾーンのように、早期に才能が分かるということはありません。早期に分かれば良いのですが、芸術系では難しいのです。例えば、レンブラントは学問も優秀で、14歳で大学に通っていますが、子供の頃に描いた作品は見つかっておらず、最も早い時期のもので、19歳で描いた作品です。

レオナルド・ダ・ヴィンチも、あらゆる分野で才能がありますが、15歳での作品があるものの、ほとんどの作品は、40歳以降のものです。
マチスやゴッホも、子供の頃に才能が見られたのかどうかも定かではありません。20歳を過ぎてから絵を描き始めたのですから。
ピカソは特別です。彼の父親はアートの先生で、彼は10代で、大人のような作品を描いています。

芸術系ギフテッドについての研究は、ゲイツケルとロウェンフェルドが、長期調査をしており、よく知られています。彼らは、芸術系ギフテッドには以下のような特徴(見分けポイント)があると、共通の見解を持っています。



《芸術系ギフテッドの特徴》~見分けポイント~

1. 想像力、表現力が豊か。考えを素早く書き留めるのが苦手。外からの刺激がなくとも、次から次へとアイデアが浮かぶ。(自分のアイデアが次のアイデアを引き起こす。)

2. 特定の感覚が優れていることがある。例えば、動き、空間、リズム、色、など。
(テンペラ画だけに興味があり、その他の道具を用いて描くことに全く興味がない子がいたり、動作を捉えることにのみ興味がある子がいたり。)

3. 考えたことと、知覚したことと、心で感じ取ったことを、一緒にまとめて(統合して)表現することがある。

4. 想像力の豊かさが際立っている。独自の信条があり、真似をする必要がない。

5. 自分にとって意味のある時だけ、表現力豊かに描く。学校の先生が設定した課題にノッて取り組むとは限らない。

6. 作品の主題や絵道具は自分自身。芸術系ギフテッドの子供達は、作品の中に生きている。絵道具は指先の延長であり、作品は非常に個人的なもので、内面を視覚化する必要があってできあがったもの。

7. こういった子供のほとんどが、2歳以前に上手に線を描くことができていて、機会があれば、15ヶ月以前に描くことができている。

8. 知能は常に平均以上である。芸術系ギフテッド全ての人が、高いIQを示すが、その逆はない。(IQの高い人のほとんどは、芸術においては平均以下。)

9. 全ての芸術系ギフテッドは、絵道具の使い方が秀逸である。

10. デザインへの感受性が高い。

11. 一人一人の子供が非常に独特で独創的、発明の才がある。

12. 芸術系ギフテッドの子供は、自分の好きな芸術形式に自ら取り組む。周りが取り組むように促す必要はない。


以上が、芸術系ギフテッドの特徴であり、見分けポイントですが、上記全ての条件を満たす必要はありません。

つづく…

この記事の続きは、芸術系ギフテッドの子供の実例です。落ち着いた時間が取れた時に、また訳してみたいと思います! 音楽系ギフテッドの記事もいつか訳してみたいと思っています。??


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by Michi-mama3 | 2013-10-20 21:36 | ギフテッドの特徴
大好きで尊敬しているあーちゃんママさんが、ギフカテからいなくなってしまい、驚きました。

軸を失ってしまったような気持ちです。でも、あーちゃんママさんのギフカテ抜ける理由を書かれたブログから、ギフテッドの子供達とその親御さんへの深い愛情を感じ、頑張ろうという気持ちも湧いてきました。本当にありがとうございます。

そして、あーちゃんママさんの器の大きさと判断の早さが、これまたカッコいいなあと尊敬。あーちゃんママさんのブログの客観的でバランスのとれた文章は、知性を感じ、気持ちが良くなります。大好きです。これからも、あーちゃんブログ訪れます!(ミチにミルクをあげていた頃、あーちゃんの年の辰年くらいからのファンです??)


☆☆☆

今回のブログでは、小学生高学年時代について、文章にしてみようと思います。

父の転勤にともない、小学3年生の1月に、関東から関西に引越し、転校しました。
かなりガラの悪い地域の小学校への転校。しかも、横浜銀蝿が流行っていた時代で(古いですね。笑)、この校区の中学校は不良満載&事件満載という環境でした。でも、大規模社宅に住んでいたので、近所の遊び友達は、自分と同じように転校を重ねていて、気の合う仲間がいる安心感もありました。

転入してすぐは、関東弁の私は「こいつなまっとるぅ~」ということで、いじめられました。とはいえ、大したイジメではなく、無視するとか、いちいちイチャモンつけてくるといったレベルではありました。

この学校への転校とイジメをきっかけに、関東でボーッと過ごしていた私の目が覚めたようなところがあります。人間について真剣に考えるようになりました。イジメの派閥もあるような学校で、生き延びるために目覚めざるを得なかったというところでしょうか、苦笑。

クラス替えもある4年生への進級。生き延びるためにどうしたら良いかと、人気者を観察しました。私の出した結論が、「みんなを笑わせれば、人気者になれる」でした。関西でしたので、笑。
一方、イジメグループと一線を引くために「清く正しく、自分を持つ」といった態度も身につけました。(“清く正しく”は強さでもあると思っていました。)

時は漫才ブーム。小学4年生から、休み時間の度に、みんなを笑わせるエンターテインもできるようになりました。人格激変です。「ミチヨちゃん、漫才師になったらええのんとちゃう?」と言われるまでに、成長(?)しました。

くわえて、この学校は日教組バリバリの学校で、競争はNG。運動会で勝ち負けはなし、通知表は、たったの2段階評価でした。ということで、すべての評価が「できる」となることもあったりして、自分は優秀なんじゃないかと勘違いできたのはラッキーでした。(勉強へのモチベーションがあがってきました。しかし、競争大好きの私には、ここの運動会は衝撃的でした。)

子供ながらに、日教組教育には、ツッコミどころ満載だなとは思っていましたが、そんな中で、私にとって良かったことが一つありました。

それは理科の授業の進め方なのですが、

①皆で意見を出し複数の仮説をたてる
②自分の支持する仮説が正しいと思う理由を出し合う
③皆の考えを聞いた後に再度支持する仮説を決める

というもの。

これが私にフィットして、超イキイキ。仮説を出し、支持する理由を述べ、正解した後の「やった~!」という達成感。これはノビノビ楽しかったです。

算数もノビノビとオリジナルの解き方をしたりしたのですが、「このようにも解けますが、まだ習わない解き方なので、今習っている方法で解きましょう。」と言われたのを機に、算数はやる気が失せたのも覚えています。それまでも、解法を書くのはめんどくさい、答えが合ってるんだからいいじゃん、計算ドリルも面倒だし、大きい桁の割り算なんて、めんどくさいはケアレスミスで余りがないはずの問題でも余りが出るはで、大嫌い。と、算数には苦手意識がありました。

(こうやって書くと、めんどくさいことが大嫌いなのは子供の頃からだと気づきました。めんどくさがりは、今も変わりません。乳児期の育児は苦痛でした…。ボタンが何個あるんだこの服は!みたいな…。苦笑)


また、この頃、それなりに哲学していて、「大衆は流されやすい。多数決で決まることは、大抵不正解だ。」「人を扇動するのは案外簡単だ。」「言葉には力がある。」などと考えていたのを覚えています。

委員を務めたり、リーダーにもなりました。そういえば、この学校でも、不登校児や知的に支援の必要なクラスメートのサポート役を先生に頼まれていました。


家では以前に増して空想少女。父がSF好きで、自宅にSFの本が大量にあったこともあり、小松左京や星新一など、とっつきやすいものを読みまくっていました。そのせいか、SF的空想が多かったです。階段の途中に座って考え事をするのも好きで、気がつくと1時間くらい同じ場所にいたということもありました。

気がつくと1時間、と言えば、宿題の漢字練習や計算ドリルなど、めんどくさい宿題は、どうにか簡単にできる方法はないかと考えて、1時間くらいあっという間に過ぎ、そんな方法はないから、結局後回しにして、寝る前に泣きながらやったりしていました。

こんなでしたから、はたからみると、何もしないで止まっている時間が長い子だったんじゃないかと思います。笑 (だから母はイライラしていたんですかねえ)


そして、忘れ物も多かったです。しっかり者のイメージなので、忘れ物を取り締まる役を仰せつかったりしたのですが、その私が「忘れ物一位」になるという、先生には残念、クラスのみんなは大喜び、といったこともありました。ちなみに、一番大きな忘れ物は、ランドセルです。(傘だけ持って楽しく登校しました。)


ピアノは、とうとう本格的におもしろくなくなって、適当にしか練習せず、やり過ごしていました。発表会の曲だけ、やる気を出すものだから、先生が思っていたよりもずっと早く弾けるようになり、曲目を追加することになることも。次の発表会には◯◯を弾きたいから、そのためにこの練習をしましょう、という風にレッスンを進めてくれたら良いのに、と思っていました。


そういえば、この頃は、母が怖かったのを覚えています。きっと、色々しつけ、矯正したかったんだと思います。基本的には、言ってもなかなかやらない、口ごたえが過ぎる、お姉ちゃんなんだから弟に譲れ、というところではないかと思います。毎日叱られて泣いていました。(負けず嫌いの泣き方です。泣きすぎて「息ができない死ぬ!」と泣いていました、苦笑。ミチが同じ系統です…。)
この頃、父は私の味方で、褒めて育てる方式だったのですが、母は、父が甘やかすからますますいうことを聞かないと怒っていたのも覚えています。


***
振り返れば振り返るほど、ミチが私と似たタイプなので、今後の自分のためにも、母がどう言えば私は“良い子”だったのか考えてみるとします。

う~ん、私は、言うことをきいていないつもりはなく、言うことを聞く気はあったと思います。たぶん。やっぱり褒められたいし、良い子だと思われたかったので。

きっと、「自分のペース&自分のやり方で“やってみたい”から放っておいてくれ」といったところでしょうか。先回りして欲しくなくて、失敗も含めて経験してみたいというか…。あと、命令されたくないというか…。(面倒なやっちゃ、ですね~)

となると、問答形式ですかねえ。時間かかるし、頭使うし、親はしんどいですね~。

そう思うと、母がブチ切れていたのも分からなくはありません。愛があるほど、ブチ切れ頻度が上がりますものねえ。これを書きながら、「必死に真っ当な人間に育てようとしてくれてありがとう、お母さん」と、思いました。あとで、母にメールでも入れておくとします。
***


この時期、もっとこうして欲しかったなあ、というのがあるとすれば、色んな知識を吸収する機会がもっと欲しかったなあというのがあります。手元の百科事典は愛読していましたが、おもしろ実用書的なものがもっと家にあったらかなり楽しめたと思います。(エリンさんのモモちゃんが理想の環境です!)

母が、買い与えてくれたのは、文学小説と伝記で、どっちも興味がなかったのです。こういった大人が読ませたい系の本が嫌いなので、自分は読書が嫌いなのだと思っていました。(伝記に関しては、読むのが嫌いなくせに、自分も伝記になるような人になろうと本気で思っていました。どうやったら伝記になるのか研究するという目的で伝記を読んだり。苦笑)

小説も読むのは嫌いなわりに、空想家ではあるので、交換日記のように物語を書いたり漫画を描いたりする仲間を募って、楽しんでいました。


また、この頃、英語を習っていたのですが、できない子に合わせるものだから、先に進まず、残念に思っていたのを覚えています。「学校の先生も英語の先生も、覚えの遅い子の方がかわいいんだ。早い子は、かまってもらえないし、損。さみしいなあ。」と、いったところです。


この校区は、恐ろしい中学だったので、中学受験したいと母に言ってみたものの、相手にされず、塾にも通っていませんでした。小学6年生になって、関東に転校が決まった時には、愉快な友達と離れるのは淋しいけれど、命拾いしたと心底ホッとしたものでした。


高学年ともなると記憶がたくさんあるので、色んなことが走馬灯のように思い出されます。
毎日、死ぬとか言いながら泣いていたからか、生き延びることに必死だったからか、虚弱体質風でした。副鼻腔炎、しもやけ、便秘、と、全体的に滞ってました。中医学でいうところの瘀血ってやつなのかな?

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by Michi-mama3 | 2013-10-19 21:37 | 自己紹介

今度は、小学生時代について思い出したことを文章にしてみようと思います。低学年と高学年では、環境も自分自身の意識も変わり、小学校6年間全部書くと長くなりそうなので、今回は、低学年時代についてです。

とにかく、運動神経悪く、ボーッとして、行動も遅く、マイペースでした。

勉強の成績は際立っておらず、ごく普通。コメント欄には、「ボーッとしている時が多いので、もっと授業に集中しましょう」というのが、決まり文句のように書かれていました。(産後、実家で母がとっておいてくれた通知表を全部見たのですが、ほとんどの通知表に書いてあってビックリしました、笑。これは、中学生になったら、「ケアレスミスに注意しましょう」、に変わります、苦笑)

学校の授業には普通についていっていましたが、ボーッと自分の世界に入って楽しんでいたことが多かったのかもしれません。窓の外の鳩を見て物語作ったり、校門から馬車に乗ったお姫様と王子様がやってくるのを想像したり、笑。

一方、先生からはしっかり者扱いで、おもらし君の隣の席でお世話を任されたり、登校拒否の子の送り迎えを任されていました。

工作は、糊が乾くのが待てずに汚くしてしまうのが常で、嫌いでしたが、絵画は好きで賞状もよく貰っていました。自宅では、「美術」という百科事典の巻をよく眺めていて、ルノアールの世界に憧れたり、ダリの絵の中に迷い込んだり。また、線画の技法やデッサン技法のページを見て、ボールペンや鉛筆で、真似したりもしていました。

それはそれは暇な小学生だったので、放課後は、雑草生え放題の裏の空き地で、虫と戯れたり、観察したり、捕獲したり、草や実を潰して顔料つくったり、とても充実した時間でした。??

室内では、自作のゲームおもちゃを磁石や厚紙、輪ゴムなどで作るのも好きでした。大勢で遊ぶおもちゃではなく、一人遊び用のものです。砂鉄遊びも地味に好きでした。ほんと暇で、なんでもマイペースにできて幸せでした。

近所の友達とも遊んでいましたが、一人でこうやって遊ぶ時間がたっぷりありました。自分にとってこのような時間がとても大切で、成長に欠かせなかった気がするので、できればミチにもこういった暇な低学年時代を過ごさせてあげたいなと思っています。

ピアノは3歳からやっていましたが、引っ越しが多くて、先生が替わりすぎました…。この頃は、レコードのピアノの音と、自分の出す音が同じ楽器の音と思えないほど違っていて、どうしたら、綺麗な音が出せるのか分からず、やる気をなくし始めていました。練習曲は嫌いでしたが、ソルフェージュは、まあ好きで、和音も好きでした。

あと、ギフカテでよく出る話題の自転車。あまりにも、補助なしで乗れるようにならない私に業を煮やして、両親が特訓をしてくれたのが、3年生の夏。号泣特訓となりました。過酷でした~。

記憶にある中で、本を読んで泣いた一番古い記憶がこの頃で、泣いた本が「人魚姫」です。「王子を助け、なおかつ声を失ってまで人間になったのに、何て仕打ちなんだ!」という、怒りの号泣です。(子供時代は、本当に悲しくて泣くというのはあまりなく、悔しさ、怒りで泣くのがほとんど。もらい泣きもなかったです。クラスでもらい泣きをする子を見て不思議に思っていました。)

学科では、国語が苦手でした。作者の気持ちや、登場人物の気持ちを問う問題が苦手だったのです。先生に、「作者に聞いて見ないとわからないと思います!」と、発言したこともあるし、テストの解答欄にも「作者に聞かないと分からないけれども」と添え書きした記憶があります。(自分の答えが選択肢になかった時には、テスト問題の選択肢が間違っていると思っていました。)

それと、行間を読むとか、文章中の…… は何を表すかというのも苦手でした。詩のテスト嫌いでしたが、書くのは好きでした。あと、読書感想文は、何で書かせるのかその意味が分からず嫌いで苦手でした〜。国語のテスト問題には、不満たっぷりの小学生でした。


そういえば、母に叱られていた記憶はあまりありません。たぶん、そこそこ満足して幸せ過ごしていたんだと思います。

今回書きながら、家族でドライブしている車内で、キャンディーズ解散コンサートのラジオ放送を聞いていたのを思い出しました!どんどん土地開発をして、分譲宅地ができていったことも思い出しました。規則的に点滅するそごうのネオンも思い出しました。未来に希望がある時代だった気がします。そんな時代に子供でいられたのは、幸せなことなんでしょうね、きっと。

経済や地球環境の変化から、悲観的になりやすい現代ですが、ミチには、未来に希望を感じる子供時代が過ごせるよう積極的に親業をしていきたいと、今回のブログを書きながら思ったのでした。


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by Michi-mama3 | 2013-10-13 23:17 | 自己紹介

今回は、自分の幼少期を振り返ってみようと思います。

3歳までの記憶では、自分が何かをしているという記憶はなくて、父や母の家事を見ていたその風景や、家の中の風景、近所の子供たちを眺めていたということを思い出せる程度です。また、人見知りが強く、親戚から、「抱かせてくれないから可愛くない」と、いうようなことを言われているのも覚えています。

母から聞くには、大人みたいな表情をする子だと、祖母や親戚から言われていたそうです。
私もなんとなく覚えていて、自分はいわゆる子供らしい天真爛漫さがないから、大人から見てあまり可愛くないのだろうと、思っていました。

幼稚園に上がってからも、同じように、大人の期待する子供の可愛さが自分にはないような気がしていました。実際、愛嬌があり活発な子供の方が先生に手をかけてもらっていることに気づいていて、そのことをなんとなく羨ましい気持ちで眺めていたのも覚えています。

運動会やお遊戯会の写真が残っていますが、私は頑張って参加していたつもりですが、どの写真にも突っ立っているだけのように見えなくもない私が写っています、苦笑。おそらく周りを観察していたり、ボーッとしていたんだと思います。

そして、知的に賢かったというエピソードは一つもなく、言葉がちょっとだけ早かったことは聞いています。そして、話し始めたらほとんどいきなり文章だったと。これはミチと似ています。自分の記憶では、3歳のころ母が新聞を読んでいる脇で見出しのひらがなを読んでいたのを母との時間の良い思い出として覚えています。


癇癪や感受性については、ミチほど激しくなかったはずです(たぶん)。親の話によると、 とにかく寝ぐずりがひどかったこと、負けず嫌いだったこと、ああ言えばこう言うので可愛げがなかったこと、などなど。こういった疳の虫系の話は、親戚からも聞かされています。(宇津救命丸を飲ませたが効き目なかったとか、苦笑)

転べば石に怒り、帽子が飛べば風に悪態をつき、ゲームに負ければそのゲームは嫌いだと言っていました。私もこういう態度をとっていたことは良く覚えています。母は、矯正しようとやっきになっていましたが逆効果で、私は、ああ言えばこう言う能力を高めていっていました、苦笑。

母からみれば、「叱っても聞かない子」ではありましたが、幼稚園では、ボーッとしている時間がほとんどでした。ストーブの前でずっとボーッとしていて、制服のスモッグの背中が大きく焦げても気づかず、先生が「ミチヨちゃん、大変!」と騒いでいたのを覚えています。

そして、皆でものを取り合うというか、人がワッといる中に入って行くのは、自分の美学に反している、という考えを持っていて、それにもかかわらず、母が「ほら、早くあなたも入っていかないと欲しいものがとって来れないわよ。」と、けしかけられるのが嫌だったのもよく覚えています。


また、この頃から運動音痴は自覚していて、お正月の羽子板が上手くできなかったこと、ジャングルジムは一番下の段で満足していたこと、走ればよく転んだこと、三輪車すらうまく乗りこなせていなかったことを覚えています。笑

絵画は、放課後のお絵描きクラブに通っていた記憶がありますが、好きな絵を描くというより、描く絵に正解があるといった内容で、大人の好む子供らしい絵が評価されると感じていました。どんな絵が正解なのかなあと思って描いてみるのですが、私の絵が評価されることはありませんでした。

鮮明に覚えているのは、「宇宙の絵を描こう!」というお題で、私一人が最後の最後まで、書き始められなかったということです。周りの子供達は大人が好むような賑やかな宇宙人やらUFOをさっさと描いていましたが、「宇宙なんて知らないしなあ、どう描いたらいいか分からない」というのが、私の気持ちでした。

最終的に、先生からせっつくように、「宇宙なんだから宇宙人を描いたら?」と言われ、「宇宙人って見たことないから分からない」と、いう私に、「宇宙人はタコみたいな形をしている」という先生(時代ですね、1975年くらいのことです)。

結局、画用紙に水色の線で円を書き、その中に黄色いタコのようなものを一匹描いて終わらせました。で、この絵が、親含め大人に不評で、不条理を感じたものでした。まあ、先生も時間があるのでさっさと描き上げさせたかったのだろうと今では分かりますが〜。


思いつくままにダラダラっと書いてみましたが、他の子と積極的に交わろうとするよりも、周りを観察している方が多いというのは、ミチを見て心配していましたが、思い起こせば自分はミチ以上にその傾向が強かったなあと。

それと、ここのところ、叱っても叱っても叱っても叱っても、きかないミチに、かなりイライラしていましたが、これも順繰りだと思えば、“多少” 気も休まりそうです。負けず嫌いが過ぎる親子なんだなあ、きっと。


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by Michi-mama3 | 2013-10-11 09:39 | 自己紹介
あーちゃんママさんブログで「ギフテッドアダルトの特徴 Part 2」(知的面以外での特徴)を読んで、面白いほど自分に当てはまっていて感動。(なんか理解者ができたような嬉しい感動です、笑)

知的面では当てはまらないので、自分がギフテッドなのかどうか確定できませんが、理解者ができたような嬉しさで、あれやこれや自分の辿ってきた道について思い出しました。あまりにもたくさんのことが頭に浮かんできたので、文字にして整理してみようと、自分のこともこのブログで書いてみようと思います。


まず、今回は、両親について。

父は定年直前に他界しています。早くに亡くなったのは、私は、彼の負けず嫌いが過ぎたからだと思っています。大手企業でかなりのポジションまで登りつめましたが、父の経歴では異例の出世でした。亡くなる前も、病床では、定年後の独立にむけて、複数の人とやり取り。その事業内容は、社会奉仕的で正義感からきたものでもありましたが、負けず嫌いからきていたエネルギーもあったと思います。

父と同じ業界の友人から聞いたところによると、父が勤めていた企業は、二つの大きな派閥があり、友人の言葉を借りると、エリート派と野武士派とがあるそうです。明らかに父は野武士派だったのですが、父の葬儀の時には、エリート派が天下をとった直後だったので、お手伝いにきてくださった会社の方々も、ちょっと気まずそうな雰囲気はありました。それだけ、父はアクが強かったんだと思います。

そんな父ですが、なぜ野武士派かというと、大学は名は知れていますが中堅どころです。高校は地元で一番優秀な学校ですが、大学受験では力を発揮していません。浪人時代、東京に出てきたのが嬉しくて、勉強せずに遊び呆けていたと聞いています。卒業後、就職したところは家族の目が届く中堅企業。親族がいるのが嫌で、転職して入ったのが、亡くなるまで勤めた会社です。
中堅大学卒の転職組ということで、エリート派ではなく、野武士派。もちろん、野武士派にも、履歴書的にエリートな人はいたそうですが。

派閥争い、成績競争のある企業だったので、負けず嫌いを存分に発揮して、登りつめたのだろうなというのは、容易に想像ができます。ちなみに、私は父に似ています。特に社会に出てから、似ているのを実感しています。そして、母の話では、ミチの癇癪、周りの状況に気を張って隙のない様子などは、父と私にそっくりだそうです。

そんな父ですが、たぶん祖母に似ているんだと思います。祖母は思い立ったら情熱的に動き、自分の意思を通す人だったそうです。祖父が早くに亡くなったので、経済的に苦労しているのですが、愛情深い反面、アクも強く、戦後食糧不足のころ、成績の良い子から食べさせていたというエピソードはよく聞かされています。

また、父は、派閥争いの激しい中にいて、高度な社交が必要でしたが、おそらく内向型だったのだと思います。夜寝る前、休日は、SF小説、歴史小説を読んで自分の世界に入っていました。そうしないと、仕事の考えが巡って眠れなかったんだと思います。(私がそうなので)

そして、父の姉は、自分と父のことを、「人には見えないものが見えるの。見えすぎちゃうのよね。それで疲れるの。」と、私の母によく言っていたそうです。
それを受けて、母は私(ここではミチヨとします)に「ミチヨはかわいそうよね~、お父さんと似て、見えないものが見えるのよ。線が細いから心配だわ~。」と、人ごとのように言います。
そこで、私は「見えない人の気がしれないし、見えない人がいることのほうが私には迷惑なんだよね。」と言うと、「お父さんと、同じこと言ってるわね、ホホホ」と。(私は何の結論も解決もない母との会話に毎度イラッとするのですが。)

父は、内向型だけれども、“見える” ことを特技とし、派閥争いの高度な社交をサーフィンのように行っていたんだと思います。でも、心身ともに負担があったのだろうなとも思います。

父の“極度な負けず嫌い”、“見える” に加えて、もう一つ。“嫌なものは嫌なんじゃ”というのがあります。転職前、向いていない配属で、本当に病気になったくらい、嫌なものは嫌というところがあったそう、私も同じようなところがあるので、病気になってしまうのは、心の底から理解できます、笑。


こんな父に対して、母は、凸凹激しい私の凹を矯正するのが、母の務めとばかりに張り切っていた、常識人間です。私への小言は、「それが常識なんだから」というものが多いです。母はまだ生きていますので、小言は時々現在進行形でもあります。

母は、中学から地元で名門の私立に行かせてもらっていた割に、根っからの勉強嫌いのため誰でも入れる短大に通った落ちこぼれです。ただ、その名門私立での同級同窓生が政治家、官僚などと、新聞テレビでお見かけする方が多く活躍しており、そういう環境で育ったせいか、思考回路はお堅い常識人です。

また、高度経済成長を享受した世代だからか分かりませんが、危機感がなくお気楽で、私に向かって、「ミチヨは目標を定めてそこに向かうのが好きなのねえ。なんでもケセラセラ、なるようになるんだから、そんなに頑張らなくてもいいのに〜♪」と言っていました。私としては、頑張っているところに水を差された気がし、かなり不愉快で、その後、母と、“生き方について”の議論に毎度発展したものでした。

母についてそれほど語ることはない気もするし、キリがないほどに細々とある気もしますが、基本私と合いません。私がイラっとするんですね〜。

母の“お堅い常識”と“がんばらなくても良い”というメッセージが、私にとってよく作用したのか、悪く作用したのか何とも言えません。その矯正のおかげで、目上のお堅い常識人に気に入ってもらえるし(ただ心地悪いので早く離席したいと思ったり)、年頃には男性から好かれることもまあまああった(初対面の印象で好かれるだけなので、開けてビックリ状態で、気は合わない)のだと思います。

ただ、自分で自分の好きな仕事を作り出しそこそこやってみて今思うのは、私はもっと振り切れていた方が、私生活でも仕事でもハッピーだったのではないかということです。正直、あまり常識をたたきこまれたくなかったし、がんばりエンジンがフル稼働できるメッセージを吹き込んでほしかったなあ〜とも思うのです。(同性だからか、つい母に厳しくなっちゃいますねえ)


次回は、自分の幼少期から振り返ってみようと思います。ミチと重なる様子があるかなあと思います??

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by Michi-mama3 | 2013-10-06 00:36 | 自己紹介