育てにくい息子について調べていてギフテッドについて知りました。息子がギフテッドかどうかはさておき、ギフテッドについて調べたことや日常をメモしておこうと思いこのブログをはじめました。


by Michi-mama3

自分について振り返ってみました 高校時代(2)



自分の振り返りを年内に終えようと思っていたのに、日々の生活にアタフタ。とても年内には終わりません。子育て中の身には、自分について振り返るなんて贅沢な時間の使い方なのね、ということに、今さら気づいています。


さて、高校時代について振り返りの続きです。

高校時代は、私の人生での闇の時代でして、特に後半は、くすぶり感と自殺願望が支配していました。なぜ私はこんなに否定的な気分に支配されたのかについて、子育ての合間に考えてみました。


私の通った高校は、入学時にはかなり勉強の成績の良い女子が集まる高校だったのですが、卒業後の進路が、東大に毎年一桁しか進学しないという特徴があります。
この高校と対になっている男子校(入学時の成績はほぼ同じ)、東大は毎年30~40人くらい進学しているのにもかかわらずです。

この学校は、ある意味一地方の公立校です。「女は勉強が出来すぎないほうが良い」という価値観が、生徒にも先生にもありました。(こんな価値観、今はなくなっていると良いのですが、進学実績を見ると相変わらずのような気がします。文化は変わらないですね。)

学校内でも、この学校の卒業生は結婚なかなかできないらしいなどと噂したり、この学校に入学するとモテないと嘆き合ったり、この手の話題は日常でした。対になっている男子校での、やっぱこの高校に入ったら東大目指すでしょ、という雰囲気との差は歴然です。

卒業アルバムを誰に見せても、案外美人が多いね、と、言ってもらえる同級生達ですが、うら若き乙女のこと、素敵な男子からどこの高校?と聞かれて、学校名を答えると、「ヘェ~頭いいんだ~…」で、終わってしまうという悲しい経験を幾度か重ね、2年生にもなると、頭の良さを隠す受け答えも上手くなり、東大なんかに行ったら、もっとモテなくなるなと確信するという有様でした。
(ちなみに東大に固執しているわけではなく、女子の能力隠しの具体例として東大を例にあげてみました。)


私自身の進学に対する考えはどうだったかというと、将来の仕事のために学校を選びたいという気持ちが強く、世の中にどんな仕事があるのか、親と話すだけでは種類がかなり限定されていて、よく分からず、図書館で色々な職業とその道に進むための情報を得ようとしたものの私の求める情報は得られず、路頭に迷った気分でした。

なので、漠然と、国際関係(当時の流行りですね)か、心理学(ただ単にお遊び心理テストが好きだったから)で、受験して、受かったところに行ってから考えよう、という、自分の本意ではない受験校選びで、こんな将来への目標のない受験に意味があるのだろうか、という気持ちが強かったです。

ただ流れで受験するだけですので、モチベーションないと全くやる気の起きない性格の私には、受験勉強は苦痛以外のなにものでもありませんでした。(世界史の資料集を眺めては、時空旅行にでかけ、ハッと気がつけば1時間という毎日、苦笑。)


精神的に一番悪影響だったのが、母との口喧嘩の日々でした。今ではすっかり過疎地になってしまった片田舎出身の母ですが、彼女は、「女性は良妻賢母系の短大を出て、一部上場企業に就職し、かわいくお茶汲みして、ナイスガイと結婚するのが幸せの王道だ」と信じていて、私がそこそこの高校に入学した時点で、私への勉強のサポートは終了。この高校入ったのだから、放っておいても、まあ名の知れた短大くらいには行けるだろうと、考えていました。

大学は短大にしか行かせるつもりはないから、学費は2年分しか出さない。4年生の大学に行きたければ、残りの2年分は自分で稼いで払いなさい。と言われ、予備校にも通わず、エアコンもつけてもらえず、勉強しなくて良いから家のことを手伝えと口うるさく言われる毎日でした。


父はまだ少しは話が通じて、受験が本格的になる前、私が外交官とか国連とか興味があるなあ、どんな仕事なのかなあと、話せば、会話が多少続くようなところはありました。
が、いかんせん、当時単身赴任中だったのに加えて、バブルで自分事に忙しかったのと、私の興味のあるような堅めも職種にまったく明るくないのと、やはり根のところで、父もいわゆるお嬢さん然とした人生を送って欲しいと思っていたであろうということで、中身のある話はたいしてできませんでした。

まあ、どう見ても、私は霞が関タイプではないので、父もたいして真剣に受け止めなかったのかもしれませんが、それでも、ちょっと霞が関に連れていくとか、JICAに連れていくとか、社会人のイメージを広げる機会をつくるとか思いついて欲しかったなあと思います。母にいたっては、当時外務省に世界を飛び回る知り合いがいたのだから、そんな人の話を聞かせて欲しかったなあと思います。(バブル真っ盛りだったので、この頃の親は子の人生すらも楽観していたのでしょうか?)


今振り返っても、私が娘(女性)であるという理由で、進路について手抜きしたのは明らかです。当時はそこまではっきりと分からなかったものだから、自分の価値を女性という理由で親からも、低く見積もられたのが、とても苦しくて、自己否定的になっていきました。(当時は女性という理由とまではっきり分かってはいませんでしたが、感じてはいました。)


思春期にありがちなのかもしれませんが、「自分には生きる価値がない」という思いが強くあり、死について真剣に考えたのです。自分を殺めるということは、人間にしかできない高度なもので、尊厳的なことなのではないだろうか、と思ったりもしていました。
(ちなみに、すぐに“死のう”と思うのは、この頃から始まって、母を完全に見切って本当の親離れをする20歳代終わりまで続きます。)

激しい反抗と自己否定の中で、自分を殺めることがなかったのは、好奇心が優っていたからで、「まだまだ色んな経験をしてみたいから、今死ぬのはよそう。」という結構単純な理由からでした。

中学時代は、勉強が楽しくて一番の趣味であることを先生から理解されずに落ち込み、高校時代は、女性であるがゆえに誰も自分に勉強を頑張れ!とエールを送ってくれなくなったことに落ち込み…、といったところでしょうか。


同様の悩みを持っていた同級生はそこそこいたのではないかと思います。卒業式になぜか欠席してその後音信不通になった友達、拒食症が進む一方だった友達、短大進学後自殺してしまった友達、旅に出たまま行方不明になった友達(親友のひとり)…。

もし娘がいて、自分と似ていた場合、この高校は勧めません。都内の国立の共学高校か共学の大学の付属高校を勧めると思います。(共学にこだわるのは、社会に出た後、自営っであったり、フリーランスで仕事をする場合、男子とのネットワークの方が使えるからです。)


最後に、ピアノです。中学に入学と同時にやめたピアノですが、急にリストの「愛の夢」を弾けるようになりたくて、1年間だけ復活しました。この時は良い先生に恵まれ、バーナムからやり直し、音の表情についての指導もしてもらえて、楽しくレッスンが進みました。


それにしても、振り返って気づいたのは、高校時代に女性としてかわいがられるための仮面をかぶるように、親からも環境からも、刷り込まれたのだなあということです。


なんか暗い記事になってしまいましたね…。本人的には一つ殻を脱いだような自分についての理解が深まったような気分です。次は大学時代について振り返りたいと思っています。??


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by Michi-mama3 | 2013-12-19 22:57 | 自己紹介